• 日々のみ言葉 2015年6月30日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年6月30日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書1章21節~20節】

    1:21 それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。
    1:22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。

    ◎ショートメッセージ

    《マルコが言う「一行」とは一体誰を指すのだろうか。マルコの福音書を最所から読み進めて行くと、この「一行」とは、主イエス、シモンとアンデレそしてヤコブとヨハネの5人となる。しかしヨハネは、その福音書に、アンデレが兄シモンを主イエスの所に連れて来て、引き合わせた「その翌日」に、ピリポを、そしてナタナエル(バルトロマイと同一人物)を召し出されるのである。とすれば、この「一行」とは、総勢7名となる。カペナウムとは、ガリラヤ湖北西岸の町で、ダマスコへの通商路上にあり、交通の要衝として繁栄していた。そしてローマ軍の駐屯地があり、収税所があった。ここにペテロとアンデレの家があったことは有名である。またマタイはこの収税所で働く取税人であった。とすれば、7番目に弟子となったのは、レビと呼ばれたマタイとなる。ところで、この「一行」は、カペナウムに来て安息日を迎えた時、一体どこに宿泊したのだろうか。なぜなら、安息日が終わる頃に、主は初めてペテロとアンデレの家に入られるのだ。ユダヤの暦では、日没が一日の始まりとなる。主イエスが、カペナウムのシナゴーク(ユダヤ人の会堂)に、入って教えられのは、夜が明けてからの話となる。そこらあたりの詳細については、聖書は詳しく説明していない。主イエスも、そして最初に召し出された弟子たちも、私たちと同じ生身の体を持っているから、当然食事を取る必要があったし、また休む必要があった。この状況にて考えられることは、ヤコブとヨハネの父ゼベタイの家である。もちろん確たる証拠はない。ただ言えることは、この後、「一行」は、アンデレとペテロの家に行くことになる。とすれば、その前の日には、ゼベタイの所に宿泊したことは十分に考えられる。ゼベタイはかなり裕福であった。なぜなら「使用人」を雇っていることからも、それは察することができる。そしてエルサレムに自分の家を持っていたと思われる。使徒ヨハネが、大祭司と知り合いであったことは事実だからである。ヨハネの福音書には、ヨハネ自身が「大祭司の知り合い」ということを、二度に渡って書き記している。さて夜が明けて、午前中に、いつものようにカペナウムのシナゴークにおいて、安息日のユダヤ人の集会が持たれた。おそらくペテロの家族もそこに来ていたと思われる。人々は、主イエスの教えに驚いた。律法学者はただあらゆる説を述べて説明するだけであったが、主イエスの教えには「権威」があったからである。それはまさしく「神の御子」としての権威である。その語る言葉には、並々ならぬ力があった。「聖霊による油注ぎ」が溢れていたのである。「メシヤ」とは、「油注がれた者」という意味である。私たちクリスチャンにも、同じ「権威」が与えられている。「主イエスの御名」によって祈り、命じる権威である。私たちは、そのことをどれだけ理解しているであろうか。また「主イエスの御名」が、どれほど力強く、そして怖れ多い御名であるかを、本当に信じているだろうか。信頼しているのだろうか。》

Comments are closed.