• 日々のみ言葉 2015年7月13日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月13日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章5節~12節】

    2:5 イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
    2:6 ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。
    2:7 「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」
    2:8 彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。
    2:9 中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
    2:10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言ってから、中風の人に、
    2:11 「あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
    2:12 すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。それでみなの者がすっかり驚いて、「こういうことは、かつて見たことがない。」と言って神をあがめた。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、まことの神であられながら、私たちと同じ、まことの人間であられた。しかし神として生きることよりも、ひとりの人間として歩まれた。神であられるのなら、全地全能であられる。悪魔・悪霊は、私たちの心を読むことは出来ないが、まことの神であられる主イエスは、人の心を、一瞬にして読むことが出来る。マルコは、『すぐにご自分の霊で見抜いて』、と書き記している。ここで主イエスが言われたことは、不思議なことである。「中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」律法学者の言うことは、決して間違いではなかった。神のみが、罪を赦すことができるのである。主は中風の人「子よ。あなたの罪は赦されました。」に言われたのであった。これは、心の変化を表している。しかし私たちには、それを見ることはできない。「起きて、寝床をたたんで歩け。」これは、もし奇跡が起きないとしたら、病人は癒やされずにベッドに寝そべったままである。どちらがやさしいか。もし私たちが言うとしたら、「あなたの罪は赦された」の方が、やさしいのかも知れない。なぜなら、その後に何も起こらなくても、責任はないからである。もし「起きて、寝床をたたんで歩け。」と言って、癒やされなかったとしたら、私たちはまさしく「にせ預言者」あるいは「にせ使徒」の烙印を押されてしまうであろう。もちろん私たち自身に「癒しの力」があるわけはなく、聖霊様が働いてくださらなければ、私たちには何もできない。
     さらに、主イエスは続けてこう言われた。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」すると彼は起き上がり、すぐに床を取り上げて、みなの見ている前を出て行った。これを見た人々は、すっかり驚いた、と言う。ここで主ご自身は、まさに神であることを宣言しているのである。今現在は、医学が発達している。神は、その医学を用いて、医師を用いて癒やされるが、本来癒しは神のみわざである。しかし「罪の赦し」すなわち、人が救われることは、まさしく最大の奇跡なのである。そして、それは、聖霊なるお方によらなければ、成しえないことなのである。》

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