• 日々のみ言葉 2015年7月14日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月14日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章13節】

    2:13 イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。

    ◎ショートメッセージ

    《「日々のみ言葉」においては、マルコの福音書をきめ細かく学んで行くことを示された。もちろん参考テキストが全くないわけではない。私は、尾山令仁師の「マルコの福音書講解」を使用している。ただしこの本は、まだ一冊の書籍としては、羊群社からは刊行されていない。羊群2004年7月号から2006年12月号に掲載されているものである。尾山令仁師は、すでに新約聖書の講解をすべて終えられた。しかし原稿が完了しても、その書籍の販売が経済上の理由で、見送られているが現状である。「第Ⅰコリント」「第Ⅱコリント」「テモテⅠ・Ⅱ・テトスへの手紙」「ヨハネの手紙Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」「ヤコブの手紙」「ペテロの手紙Ⅰ・Ⅱ」「マルコの福音書」「ユダの手紙」が、ぜひとも早く刊行される事を願っているのは私だけであろうか。引き続き祈りに覚えている。
     さて、今日はこの1節だけである。マルコの福音書2章を読んでいると、ついつい見落としてしまいやすい箇所である。私自身、この後のレビ(マタイ)の救われる箇所に、真っ先に目が飛んで行ってしまうものだからである。それほど取税人レビ(マタイ)の救いと生まれ変わりは劇的であるからだ。その前に、なにげなくさらっと入っているのが、この2章13節である。
     『イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。』
     「また」である。と言うことは、以前にも湖の畔、ガリラヤ湖の畔にて群衆を教えられたことがあるということだ。ではいったいそれは、他の福音書のどの箇所と一致するのであろうか。これだけの短い情報量では、同定することは至難の業である。しかし一つのヒントがある。それは「群衆」である。主イエスの最も有名かつ最高の説教は、間違いなく「山上の垂訓」である。マタイは、その説教を詳細に、その福音書の5章から7章という3つの章のスペースを割いて掲載している。ルカは、6章の後半にその一部を掲載した。しかしマルコは、何と掲載していないのである。とすると、このたった1節の箇所がそれにあたるのではないだろうか、という勝手な推測が成り立つ。主イエスは、明らかに、群衆に教えられた。ここがポイントである。「山上の垂訓(説教)」は、まさに教えそのものである。私たちも、もう一度、主イエスから「山上の垂訓」を教えられる必要がある。特に、このみ言葉が真実であることを、尾山令仁師は証している。
     『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(マタイ6:31~6:34) 》

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