• 日々のみ言葉 2015年7月15日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月15日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章14節】

    2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスはカペナウムのシモンとアンデレの家を拠点として、ガリラヤ伝道を行なっていた。カペナウムという所は、ローマ軍の駐屯地であり、シリヤから地中海に通じる交通の要衝であったため、そこに収税所があり、そこを通過する物品に関税を課し、税金を取り立てていたようである。その収税所に座って、一日中監視していた取税人がレビであった。当然彼も、カペナウムにおける主イエスの評判を知っており、また主イエスに対して何らかの興味あるいは関心があったはずである。もしかしたら、こっそりと主イエスの教えを聞くために、顔を隠して群衆の中に紛れ込んでいたかも知れないのだ。マルコの福音書2章13節に、『イエスはまた湖のほとりに出て行かれた。すると群衆がみな、みもとにやって来たので、彼らに教えられた。』と書かれてあるからである。私は、昨日の「日々のみ言葉」において、この箇所が「山上の垂訓」ではなかったかという推論をたてた。なぜなら、その直後に、取税人レビ(マタイ)の救いと召命が書き記されてあるからだ。主イエスは道を通りながら、収税所を通り過ぎようとなされた。主イエスの目は、確かにレビの目をご覧になっていた。そして間違いなくレビも主イエスを見ていたのだ。人は、興味・関心・尊敬の意思がなければ、どうして見知らぬ人の後をついて行くことをあえてするだろうか。
     かなり後ほどのことであるが、主イエスがエリコの町に入った時であった。ここに取税人の頭でザアカイという金持ちがいた。ザアカイは、主イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができず、それで、主イエスを見るために、いちじく桑の木に登ったのであった。ちょうど主イエスがそこを通り過ぎようとして上を見上げられ、「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われたのである。この時、主イエスはザアカイの名を呼ばれた。マルコは書き記してはいないが、レビの召命の時も、主イエスはレビの名前を呼ばれたのではないだろうか。「アルパヨの子レビ。私について来なさい。」と。すると彼は立ち上がって従ったのだ。
     十字架に架かられる数時間前、エルサレムからゲッセマネに行く道すがら、主イエスは弟子たちにこのように言われた。「あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」主イエスは、なぜレビを選ばれたのであろうか。レビはやがてマタイと名乗り、「マタイの福音書」を書き記す大偉業を成し遂げる。そこに書き記された「山上の垂訓」こそが、もしかしたらレビ自身がその自分の耳で聞き、生き方を180度変えられるほどの主の強烈なメッセージでは、なかっただろうか。それゆえマルコは、「群衆に教えられた」後に、レビの救いと召命を書き記したのではないだろうか。マルコは、たんたんと事実を並べ立てて書き記しているが、実際に実存された主イエスと、そして弟子たちの間には、私たちと同じような人生ドラマがあったに違いない。神の子であられる主イエスを、あなたや私が見つけ出したのであろうか。いや違う。主イエスはこう言われるに違いない。「私があなたを見つけ出したのです。」と。何の為に。主のお役に立つ為に。主のビジョンを成し遂げる為に。》

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