• 日々のみ言葉 2015年7月16日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月16日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章15節】

    2:15 それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちと一緒に食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。

    ◎ショートメッセージ

    《イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。それから主イエスは弟子たちとレビの家に招かれた。この時の当時の様子はどうであったろうか。主イエスも弟子たちも、取税人レビの家を知らないはずである。レビが、主イエス様の前もしくは横を歩き、自分の家まで案内する姿が目に浮かぶようである。そしてその後に、弟子たちが不愉快な顔をしながら、しかたがなくついて行くといった具合である。当時、取税人は同じユダヤ人であったが、異邦人や罪人や遊女と同じ扱いを受けていて、ユダヤ人の集会に出席することはできなかたった。彼らは忌み嫌われていたのであり、虫けら呼ばわりされていたのである。ユダヤ人は、たとえ相手がどんなに身分が高くても異邦人とは、一緒に食事をしなかった。それは汚れることであり、この時も主イエスがレビの家に、一緒に食事をすることなどは、常識的に言って、考えられないあことであったのだ。この時、主イエスについて行くしかなかった弟子たちも、同じように心の中では歓迎してはいなかった。しかし不思議なことである。このレビが、マタイと名を改め、ヘブル語で「マタイの福音書」を執筆するからである。神は、マタイが取税人のプロしての能力、はたまた培われた記録する力、特に金勘定が得意であったことから数字に強いことなど、マタイの有るがままを用いられたのである。レビは、自分の家に、主イエスと弟子たちだけを、ただ食事に招いただけではない。この喜びを共に味わってもらうため、そして主イエスを紹介するため、何と仲間の取税人や、罪人を誘ったのである。ここに救われた喜びを伝える、つまり伝道する者の姿がある。十二使徒の中に、アルパヨの子ヤコブという人物が出て来る。レビもアルパヨの子である。とすればマタイの弟であって、同じ取税人の可能性が考えられる。そう言えば、ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネは実の兄弟である。この例からも考えられるように、レビとヤコブは兄弟であり、主イエスが召し出したのではないだろうか。主イエスに出会った喜び。主イエスに声をかけられた喜び。レビは、その職業柄から大きな負い目を負っていた、また同胞のユダヤ人から、いつも憎しみや軽蔑の目で見られて、その心も魂もかなり傷つき、病んでいたとも言える。そのレビが、主イエスに認められたのである。一緒に食事を共にしたのである。主イエスが、優しい瞳で微笑みながら、レビや他の取税人に声をかけておられる光景が、目の当たりに浮かんでくる。まさしく、今日この家に救いがやって来たのである。》

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