• 日々のみ言葉 2015年7月18日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月18日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章18節】

    2:18 ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」

    ◎ショートメッセージ

    《マタイは、この箇所の平行記事を9章に掲載している。それによると、『するとまた、ヨハネの弟子たちが、イエスの所に来てこう言った。「私たちとパリサイ人は断食するのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」(マタイの福音書9:14)』と、書かれてある。マルコの福音書では、『ヨハネの弟子たちとパリサイ人が、イエスのもとに来て言った。』となっているが、主イエスのもとに来たのは、バプテスマのヨハネの弟子たちだけであることが分かる。そしてマタイは、「また」と言っていることから、以前にもバプテスマのヨハネの弟子たちが、主イエスのもとに来たことがあるということだ。ルカの福音書7章には、バプテスマのヨハネが二人の弟子を、主イエスのみもとに遣わした記事が書き記されている。その箇所が、最初にヨハネの弟子たちが、主イエスのみもとに来た時と同定できるかも知れない。それでは、なぜバプテスマのヨハネの弟子たちは、断食をしていたのであろうか。それはバプテスマのヨハネが、ガリラヤとペレヤの国主ヘロデ・アンティパスによって捕らえられたからである。この国主ヘロデ・アンティパスは、紀元4年から紀元39年まで在位していた。主イエスが十字架に架かられる直前に、過越の祭りを楽しむためにエルサレムにいて、ガリラヤ国主として、主イエスを裁判した王でもある。バプテスマのヨハネの弟子たちは、ヨハネが釈放されるよう、断食をして祈っていた。またパリサイ人は、週に二日間、月曜日と木曜日に断食していたのであった。これは今で言う半断食で、午前6時から午後6時までの12時間の断食であった。ヨハネの弟子たちが、「パリサイ人の断食」について語ったのは、単なる例としてである。ここでヨハネの弟子たちが言っていることに目を向けて見たい。彼らは主イエスに話しているのである、と言えば、穏やかな物言いだが、本当は主イエスを責めた立てているのである。本心は、「あなたも、あなたの弟子たちも断食すべきだ」と言うことである。しかし主に面と向かってそう言えないのは、ヨハネが「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と言ったお方であるからである。それゆえ弟子たちに矛先を向けたのだ。また以前は、バプテスマのヨハネの弟子であり、今は主イエスの弟子となっていたアンデレとゼベタイの子ヨハネ、その二人に対して向けられたと言っても良いかも知れない。バプテスマのヨハネの弟子たちは、決定的なあやまちを犯している。それは、主イエスこそ、来たるべく、そしてイスラエルの民が待ち望んだ「救い主」、キリストであることを、師であるヨハネが何度も教えているのに、それを信じないことにある。もし神の御心であったならば、やがてヨハネは、釈放されたであろう。しかし国主ヘロデ・アンティパスの手によって殉教することとなる。父なる神の御心は、主イエスが十字架につけられる前に、バプテスマのヨハネを天の御国に、引き上げることにあった。もしヨハネが、主イエスの十字架、また復活の後まで生存していたとしたら、キリスト教は大きく二つに分裂する危険性があったとも言える。「私は主につく」「私はヨハネに」バプテスマのヨハネの使命は、主の前ぶれをすることにあった。ヨハネは主イエスより6ヵ月早く生まれ、そして公生涯が始まってからすぐに、その地上での使命を終えたのである。》

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