◎本日の聖書箇所【使徒の働き16章35節~40節】(新約聖書p.269上段右側)
16:35 夜が明けると、長官たちは警吏たちを遣わして、「あの者たちを釈放せよ」と言った。
16:36 そこで、看守はこの言葉をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。さあ牢を出て、安心してお行きください」と言った。
16:37 しかし、パウロは警吏たちに言った。「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです。」
16:38 警吏たちは、この言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、二人がローマ市民であると聞いて恐れ、
16:39 自分たちで出向いて来て、二人をなだめた。そして牢から外に出し、町から立ち去るように頼んだ。
16:40 牢を出た二人はリディアの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから立ち去った。
◎メッセージ【入獄の結末】
《さて、夜が明けると長官たちは、邸宅から警吏たちを看守のもとに遣わします。「あの者たちを釈放せよ」と。なぜ、パウロとシラスが釈放されることになったのでしょうか。考えられることが二つあります。一つは「むち打ちの刑」で、すでに処罰が終わったと言うこと、もう一つは、多くのローマ人と面識のある紫布の商人リディアが、二人の釈放に力を貸したことです。ここからも、リディアが選ばれた理由が分かります。
ここで、もう一度ピリピの牢獄に何が起こったのか復習しましょう。真夜中に、突然地震が起こります。すると、すべての扉は開き、囚人たちにつけていて鎖はすべて外れてしまいます。それを見た看守は、その場で自害しようとしたのです。その時、同じくその場に居合わせた部下たちも、大きな恐れを抱いたに違いありません。ここに、リバイバルが起こる場面設定が十分に整えられたことになります。
「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」
「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
この言葉は預言です。家族の救いも、また部下たちの救いも、この看守の態度如何にかかっていたのです。そして、別の部屋において、パウロとシラスは、看守と部下や見張りの兵たち全員に、主のみ言葉を語ります。彼ら善因が信じてバプテスマを受けたのです。
ピリピの牢獄にリバイバルが訪れたのです。その後、看守はパウロとシラスを自分の家に連れて行きます。もし、部下たちや見張りの兵の中に、救いに漏れた者がいたら、後にこのことが問題となります。囚人を勝手に、自宅に連れ帰ったのですから。しかし、この時には、皆が主イエスにある兄弟なのです。
やがて看守の家に二人は案内されます。後にパウロは、この家の教会に再三訪れることになるのです。そして、看守の妻と子どもたちも救われて、彼らもバプテスマを受けるのです。
二人は食事の持てなしを受け、そしてまた牢内に戻ります。これは、牢の職員とも言うべき部下や見張りの兵たちの為だけではなく、逃げだそうとはしなかった囚人たちの為でもあるのです。私は、この囚人たちの中にも、救われる者が起こされたと信じています。
さて、ここで初めて、パウロとシラスは自分たちの身分を明かします。
「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです。」
ローマ市民権とは、『以前は貴族に限られていましたが、紀元前337年には一般市民にも与えられるようになりました。パウロの時代、市民は投票、士官、判事の判決に反対して、カイザルに告訴する権利が与えられていました。この市民権は、皇帝によって富者や相当の社会的地位のある者に授けられた、と言われています。
私たちが、身分を証明する時に用いるものは、免許証やマイナンバーカードです。しかし世界に共通する証明書ならば、やはりパスポートが一番ではないでしょうか。
口でいくら「ローマ市民」と言っても、嘘はすぐ分かってしまいます。やはりそのことを証明するものがないと、人は信じないのです。その辺りのことを、聖書は詳しく書き記してはいませんが、可能性があるとしたら、印形(指輪)ではないでしょうか。
ところで、なぜ、このタイミングにおいて、パウロとシラスはあえて、自分たちの身分を明かしたのでしょうか。これも、地震の時に逃げだそうとしなかった他の囚人の為なのです。神様は、長官たちが牢内にはいり、囚人たちの見ている前で、パウロとシラスに謝罪し、そして牢の外に出すことをあえて演出させたのです。
釈放された二人は、主にある兄弟に見送られて牢をあとにします。そしてリディアの家に向かいます。そこには、医者ルカが待っており、傷の手当を行ないます。
二人がリディアの家の門をたたいた時に、祈り続けていた兄弟姉妹たちは、大いに喜んだに違いありません。この喜びこそが、ピリピ人への手紙に、描かれているものなのです。
『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。』と。
私たちには神様が共におられます。私たちの体を宮として、聖霊様が住んで下さっています。それゆえ、私たちは常に前を向いて、そして頭を高くあげて歩いて行こうではありませんか。》