• 日々のみ言葉 2015年7月21日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月21日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書2章22節】

    2:22 「また、誰も新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、バプテスマのヨハネの弟子たちの質問に対して、ヨハネがかつて自分の弟子たちに教えた「花婿」の話を引用し、教えると共に、次に二つのたとえを話された。最初のたとえが、「着物の継ぎはぎ」の話であり、次が「新しいぶどう酒と新しい皮袋」のたとえである。新しいぶどう酒は、十分発酵しきってはいない。発酵が進むとガスが出る。もし古い皮袋に新しいぶどう酒を入れると、やがて膨張力を失った古い皮袋は、そのガスによって破裂してしまうのである。当然ぶどう酒も漏れてだめになってしまう。しかし新しい皮袋は、弾力性があり、発酵が進んで多くのガスが発生したとしても、その圧力を十分に受け止めることができるのである。「新しいぶどう酒」とは何であろうか。それは「キリストの恵みの福音」であり、「良き知らせ」である。主イエスの教えを受け入れる器は、新しい皮袋でなければならない。つまり律法学者やパリサイ人のような堅くな心、自分だけが正しいという傲慢な心こそが、「古い皮袋」であり、そのような心の持ち主では、主イエスの教えを受け入れることはできないのである。よって「古い皮袋」を「新しい皮袋」に変えなければならない。主イエスは、夜中に尋ねて来たニコデモにこう言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。」
     今でも多くの人々の心が頑なである。主は、子どもたちを叱った弟子たちにこのように諭された。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
     子どもは純心である。まだ無垢である彼らはすぐに、どんなことでも信じてしまう。しかし大人はそうではない。自分が今まで学んで来た知識や、経験してきたことが妨げとなって、なかなか主イエスの教えを信じることができない。「奇跡」「しるし」「不思議」「いやし」それらのことを信じることができないのである。
     主イエスは、はっきりと「地獄(ハデス)」と「天国(御国)」があることを教えられた。また人には、死後「白い御座の裁き」があることも教えられた。主イエスこそ「すべての人の主」であられる。「救い主」であられると共に「裁き主」でもあられる。
     使徒パウロはこう書き記している。
    『神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ人への手紙1:20~1:21)』
     聖書は永遠のベストセラーである。そのテーマは「ひとりの人」である。すなわち、主イエス・キリスト。私たちの心は、新しい皮袋のままであろうか。もしかしたら古くなり始めていないだろうか。いつも主イエスに従順できるような、柔軟な心を持ち続けているであろうか。「新しい皮袋」のみ言葉による点検を、決して怠ってはならない。》

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