• 日々のみ言葉 2015年7月29日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月29日(水)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書3章9節~10節】

    3:9 イエスは、大ぜいの人なので、押し寄せて来ないよう、ご自分のために小舟を用意しておくように弟子たちに言いつけられた。
    3:10 それは、多くの人をいやされたので、病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、みもとに押しかけて来たからである。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスの評判は、かなり広まっていた。カペナウムの会堂に、主イエスが弟子たちと入った時には、もうガリラヤから大勢の人が待っていたと考えられる。そして主イエスは片手の萎えた人をお癒やしになった。また、その時に、『主イエスは多くの人を癒やされた。』とマルコは書き記している。しかしあまりの大人数であった。おそらく主イエスは、癒しのみわざを、ただお一人でなされていたに違いない。なぜなら、『病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして』いたからである。この時には、主イエスは弟子たちに、癒やしと悪霊を追い出す権威を、まだ授けてはいなかったからである。主イエスは、弟子たちに「自分の乗る小舟」を用意するよう命じられた。主イエスが召し出された弟子の中には、漁師が4人もいたのであった。すなわちペテロとアンデレ、そしてゼベタイの子らであるヤコブとヨハネである。マルコは誰の持ち船か、詳しくは書き記してはいないが、ルカは、5章に『イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち船に乗り』と、書かれてあることから、シモン・ペテロが船を出したに違いない。みもとに押し寄せる群衆から逃れるため、また小舟に乗り、人々に教えるためであった。主イエスの時代には「病気に悩む人たち」が大勢いた。これは現在でも同じである。今も多くの人々が病気に苦しんでいる。どこの病院でも、朝から多くの人々が駆けつける。その中でも耳鼻咽喉科の病院は、ものすごい混雑である。診察希望の人が、診察受付時間の、数時間前から並んで、順番を取るといった具合である。確かに医療は、神の側に立っている。主イエスは、「癒やし主」であられる。なぜ癒しができるのであろうか。それは創造主だからである。創造されたお方ご自身だからこそ、非創造物である人間を癒やし、治し、造りかえることがお出来になられるのだ。しかし主イエスは、ご自身の神の力を使われたのではなく、聖霊なる神によってそのみわざをなされた。主は、まことに神であられた。またそれと同時に、私たちと同じ、まことの人でもあった。この不思議な事実を信じることは、知識・経験・理屈では無理である。なぜなら霊的なことがらは、霊において、第三位格の聖霊なる神の助けがなければ、信じることは出来ないからである。主イエスは、「もし、私が父のみわざを行なっているなら、たとい私の言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは父が、私におられ、私が父にいることをあなたがたが悟り、また知るためである。」と言われた。今から二千年ほど前、歴史的事実として、主イエスは確かに存在された。そのことを短くではあるが、フィラフィフス・ヨセフォスが、「ユダヤ古代史」に書き記している。主イエスは、奇跡を行なわれた。病気を癒やされた。今も、主イエスは生きておられる。そうだとしたら、現在においても、主イエスは奇跡そして癒やしを行なわれるのではないだろうか。ヘブル人への手紙の著者はこう書いている。『イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも同じです。(ヘブル13:8)』聖書は、一言一句、誤り無き神の言葉である。奇跡・しるし・不思議は今も存在する。昔も今も主イエスは「癒やし主」であられる事実・真実は、永遠に変わることはない。》

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