◇◆◇日々のみ言葉
2022年10月22日(土)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙11章6節~7節】
11:6 もし恵みによるのであれば、もはや行ないによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。
11:7 では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『11:6 それは、神の恵みによるのであるから、もはや私たち人間の善い行ないによるのではない。そうでなければ、神の恵みは無意味なものになってしまう。
11:7 それでは、どういうことになるのか。行ないによって救いを追い求めていたイスラエルの民は、それを得ることができず、神によって選ばれていた者たちだけが、信仰によって救いを得た。それは、彼らが神の救いを、恵みとしていただくことができたからである。』
「恵み」とは、広辞苑は、「めぐむこと、なさけをかけること、あわれみ、いつくしみ」と定義しています。これでは、余りにも抽象的で、もっと具体的に説明してほしいものです。
キリスト教では、「恵み」とは、受けるに相応しく無い者に対して、あるいは受ける資格の無い者に対して、神様が特別に与えられることを指しています。
本来ならば、選民イスラエル人が与えられるべきものでありましたが、彼らはその恵みを、故意に拒んだのです。よって、その恵みの矛先が異邦人に向けられました。
異邦人であり日本人である私たちに、この福音が伝えられ、救われて、神の子どもとされたことは、まさしく恵みの何ものでもありません。
しかし、だからと言って、救われた私たちは、善い行ないをしなくてもよいのではありません。むしろ、その恵みに報いる為にも、聖霊様と共に善い行ないをして行くべきことは言うまでもないことです。
助け主である聖霊様は、善い行ないをも教えて下さいます。》