◇◆◇日々のみ言葉
2022年10月28日(金)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙11章19節~21節】
11:19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
11:20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。
11:21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『11:19 そうすると、あなたがたはこう言うに違いない。「枝が折られたのは、私がそこに接ぎ木されるためであった。」
11:20 そのとおりである。不信仰のために、彼らは折られ、信仰によってあなたがたは立っている。だから、高ぶった思いを持たず、かえって恐れるべきではないか。
11:21 というのは、神が元の枝さえ惜しまれなかったとすれば、後から接ぎ木されたあなたがたをも惜しまれるはずがないだろう。』
「枝がおられた」とは、どのような意味でしょうか。
主イエスは、ユダヤ人としてお生まれになられました。ご自分の国に、ご自分が選ばれた民の一人として、ユダヤ社会において、ラビとして立つことが出来る30歳に公生涯を始められました。
そして、メシアとして、神の子である多くの奇跡を3年半以上にもおよんでなされたのです。
しかし、その奇跡としるしを目の当たりに見ながらも、ユダヤ人の指導者たちは、妬みから、主イエスをローマ総督に手渡し、十字架にかけたのです。その時、救いの恵みは、ユダヤ人から離れ、異邦人へと向けられて行きました。
まさしく、「彼らは不信仰によって折られ」たのです。そして、主イエスを救い主として受け入れ、信じ従う信仰によって、異邦人である私たちはつぎ合わされたのです。それは、恵みのほかありません。
多くのユダヤ人は、今でも私たち異邦人を、人間ではなく、犬と同じ存在であると考えています。
その事に対して、私たちは怒りを覚えるのではなく、また彼らに対して高ぶることなく、むしろ、恵みによって選んで下さった神様を恐れるべきであることを、パウロは言っているのです。
しかし、昨今、再びユダヤ人に対して、神様の恵みが向けられて来たことも事実です。それが、メシアニック・ジューであることを、何度もお伝えしている通りです。》