◇◆◇日々のみ言葉
2022年11月1日(火)
◎聖書箇所【ローマ人への手紙11章28節~29節】
11:28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。
11:29 神の賜物と召命とは変わることがありません。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『11:28 イスラエルの民は、今は神の福音に対して敵対しているが、神が選んでおられるという点で、やはり神に愛されていると言ってよい。
11:29 神の賜物と召しは変わることがない。』
この言葉は、イスラエルの民だけでなく、異邦人であっても、恵みによって救われた私たちにも当てはまると言えます。
もちろん、私たちは「選民」ではありません。神様が選ばれた選民は、イスラエル(ユダヤ人)だけです。そして、神様が彼らを愛されていることも事実です。しかし、彼らは、未だに、主イエス・キリストに対して敵対していることも事実なのです。
彼らは、人類の歴史の砂時計としての役割を担っています。そう言う意味において、まさしく「神の賜物と召命(召し)」は変わることはないのです。
さて、私たち一人一人も、神様の恵みによって救い出されました。救い主、イエス・キリストと、人格的に出会ったのです。
そして、一人一人に、聖霊(御霊)の賜物が与えられています。また召命(使命)が与えられています。
そのような意味において、パウロの言葉は、私たちにも当てはまると言えます。
神様は、決して私たちを捨て去ることはなさいません。私たちが、神様のみ言葉に聞き従い、十字架を見つめ続けている限り、主は常に共にいて下さるのです。
しかし、私たちの側から離れることもあり得るのです。それゆえ、主は弟子たちに言われたのです。
『「私にとどまりなさい。私も、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、私にとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
私はぶどうの木で、あなたがたは枝です。人が私にとどまり、私もその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。私を離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もし私にとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:4~15:6)』と。
私たちは、「信仰」によって立っています。主イエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは、立ち続けるのです。》