• 日々のみ言葉 2015年8月9日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年8月9日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書3章28節~30節】

    3:28 まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。
    3:29 しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
    3:30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言っていたからである。

    ◎ショートメッセージ

    《「まことに」とは、ギリシャ原語は「アーメン」である。主イエスが、このように言われる時は、まさに「真理」を語られる時である。主は、ゲッセマネの園に行かれる時に、ピリポにこのように言われた。「私が、道である、真理であり、いのちである」と。

     主イエスこそ、真理である。

    「人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。」
     何とすごいことを主は言われたのであろうか。
     
     マタイは、平行記事としてこう書き記している。
    『だから、私はあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。(マタイの福音書12:31~12:32)』

     ルカは、別の箇所に、同一記事として、短く書き記している。
    『たとい、人の子をそしる言葉を使う者があっても、赦されます。しかし、聖霊をけがす者は赦されません。(ルカの福音書12:10) 』

     主イエスの弟子で、三年半にわたり、忠実に主に従って来たシモン・ペテロは、主イエスが、「今日、あなたは、鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言う。」と預言されたように、大祭司の庭において、

    『ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない。」と言った。
     そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない。」と言った。
     しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる。」と言った。すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。(マタイの福音書26:69~26:74)』

     ペテロは、三回目には、「のろいをかけて誓った」と書かれてある。この時、まさしくペテロは、主イエスを呪った。

     しかし「人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。」また、「人の子をそしる言葉を使う者があっても、赦されます。」と主が言われたように、ペテロは、主イエスの復活後、ガリラヤ湖畔において、赦されることとなる。

     だが主イエスは、「聖霊をけがす者は誰でも、永遠に赦されない。聖霊に逆らうことを言う者は、誰であっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」と言われるのである。

     「聖霊をけがす」とは、どういうことか。これは、聖霊による「みわざ」・「奇跡」・「しるし」を、あえて意思を持って、悪魔・悪霊のみわざとすることである。律法学者とパリサイ人が、「イエスは、汚れた霊につかれている。」と言ったことこそが、赦されない罪である。》

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