◇◆◇日々のみ言葉
2015年8月27日(木)
◎聖書箇所 【マルコの福音書4章30節~32節】
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、引き続き「神の国」についてのたとえ話をなされた。
「神の国」とは、主イエスが統治される国を指す。
主イエスが、ご自身の故郷ナザレのユダヤ人の会堂において、イザヤ書を読まれたことがあった。
『それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
「私の上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、私に油を注がれたのだから。主は私を遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために。」
イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(ルカの福音書4:16~4:21)』
主イエスが、公生涯を始められた時から、地上すなわちこの世における「神の国」が始まった。
「からし種」は、本当に小さな種である。まるで砂粒のような小ささなのである。しかし成長すると、高さは何と三メートルにも達する大きな木となり、まさしく鳥が巣を作ることができるほどである。
主イエスによる「神の国」は、確かに最初は小さかった。ユダヤ教と比べれば、まさに「からし種」と、「松ぽっくり」である。しかし、そこからやがて、「からし種」は、芽を出し成長を始めるのである。
主は、このようにも弟子たちに言われた。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネの福音書12:24)』
主イエスが、十字架に架けられた時、まさしくこの預言が成就することとなる。もちろん、この後、三日目に主イエスは、復活されるのである。その時から、まさしく「からし種」の芽は、大きく成長し始めるのだ。
今、エルサレムから一番東の果てにあるこの日本まで、「福音」が届いている理由は、弟子たちの働きによるのだ。
それこそが、「からし種」のたとえの成就である。
「神の国」は、今、天に存在している。なぜなら主イエスが、天に引き上げられたからである。やがて主イエスは、再びこの地上に来られる。二度目は、ご自身の「神の民」を、その本当の住まいに迎えるために、来てくださるのだ。
もう一つの意味は、「からし種」はあまりにも小さい。それは、まるで私たち自身のようである。私たちは、砂粒のように吹けば飛んで行ってしまうような、小さな存在かも知れない。しかし、主イエスによって、聖霊なるお方の清い水を、たっぷりと注がれれば、やがて芽を出し、そして大きな幹にまで成長することになる。もちろん成長させてくださるのは、神様であることは言うまでもない。
『一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。』
主イエスよ。どうか、豊かな実を結ぶ者とならせてください。》