• 日々のみ言葉 2015年9月1日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月1日(火)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書4章39節】

    4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

    ◎ショートメッセージ

    《『ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」(マルコルカの福音書4:38)』

     主イエスは、シモン・ペテロの持ち舟に乗り、ガリラヤ湖から、大勢の群衆に対して教えられた。そしてその教えが一段落すると、主イエスは「向こう岸へ渡ろう。」と言われたのである。主イエスの乗る舟には十二使徒が乗っていた。
     時はすでに夕日が沈み、夜のとばりが静かに降りて来ており、ユダヤ暦においては、新しい一日が始まったばかりであった。弟子たちは疲れていたが、主イエスがそう言われた以上、舟を向こう岸に向けて、岸辺をあとにしたのである。その時、他の舟も、そのあとをついて行ったということである。
     漁師であった4人が、今まで経験したことのない、大嵐が起こったのである。稲妻が走り、雷鳴が轟き渡り、大粒の雨はたたきつけ、波は荒れ狂い、舟には大量の水が浸入して来た。彼らは、何とかして岸に戻ろうと、悪戦苦闘し、帆を操縦し、必死にこぎ出したが、もはや為す術を無くしてしまったのである。万策尽きたのだ。
     
     その時、十二使徒の目は、ずぶ濡れになりながらも、ともの方で寝入っておられる主イエスに注がれた。そしてこみ上げる怒りを表わし、主イエスを起こしたのである。

    「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」

     するとイエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。

     この出来事は、マタイ・マルコ・ルカの3つの共観福音書に記載されている。3つの福音書には、主イエスが、風を叱りつけた、と書かれている。しかし、どのような言葉を主イエスが発せられたのかは、どの福音書にも書き記されてはいない。ただマルコの福音書だけに、湖に向かって「黙れ、静まれ。」と、言われたことが書かれている。

     これは、いったいどういうことだろうか。確かに主イエスは、風を叱りつけられた。権威を持って、大声を出されたはずである。
     考えられることはただ一つ。その舟には、確かに十二使徒が乗っていた。彼らの耳には、主イエスの言葉が聞こえないほどに、風がもの凄い音を立て、うなっていたのだ。聞こえなかったのである。主イエスが、風を叱りつけたその瞬間、風がピタリと止んだ。

     そして、次に荒れ狂う湖の波に向かって、叱りつけられた。「黙れ。静まれ。」
    主イエスのこの言葉は、少なくとも、シモン・ペテロには聞こえたようである。

     なぜか。マルコの福音書は、シモン・ペテロの通訳であったマルコが、シモン・ペテロの語った説教をまとめたものと言われている。シモン・ペテロはアラム語しか話せなかったようである。マルコは、ギリシャ語に堪能しており、シモン・ペテロの説教をギリシャ語に、同時通訳したのであった。ギリシャ語は、当時の世界の共通語であった。現在の英語のように。伝承では、マルコは、シモン・ペテロの語ったことを正確に書き写したと言われている。

     「黙れ。静まれ。」

     主イエスが、こう言われたその瞬間、一瞬にして、大なぎになったのだ。先ほどまで、暴風が吹き荒れ、波は荒れ狂い、もはや死を待つしかない最悪の状況が、一瞬にして、何もなかったように、静かなガリラヤ湖になってしまったのである。十二使徒ばかりでなく、一緒について来た、別の舟に乗っていた者たちも、同じ経験をしたのである。

     主イエスは、創造主なるお方である。万物は、主によって造られた。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて主によって造られた。万物は、主によって造られ、主のために造られた。このお方こそ、まことの神であられる。》

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