◇◆◇日々のみ言葉
2023年10月16日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書10章32節~34節】
10:32 さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。
10:33 「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
10:34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『10:32 さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、後に付いて行く者たちは恐れた。すると、イエスはまた十二使徒を呼び寄せて、ご自分の身に起ころうとしていることを、話し始められた。
10:33「さあ、これから、私たちはエルサレムに上って行きます。私は、祭司長や律法学者たちの手に渡されます。彼らは私に死刑を宣告して、異邦人に引き渡します。
10:34 すると、彼らは私をあざけり、つばきを掛け、むち打ち、ついには殺してしまいます。しかし、私は三日の後に、復活します。」
主イエス様の、三回目の受難予告となります。マタイにおける同一平行記事では、
『さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。
「さあ、これから、私たちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」(マタイ20:17~20:19)』となっており、ここで初めて「十字架」を語られています。
マルコおよびルカでは、「十字架」は書かれてはおらず、「死刑」になっています。マタイは、直に主のお言葉を聞いていましたから、ほぼ完全に主の言葉を覚えており、書き記したに違いありません。
この言葉は、弟子たちに恐れと混乱を与えました。一体、誰の事を話されているのか、彼らには理解出来なかったからです。ゲッセマネにおいて、主イエスが逮捕され、連行されるまでは、彼らには分からなかったのです。
おそらく、彼らにとって、「死刑」そして「十字架」の言葉だけが、強く印象に残り、最後に言われた「三日の後に、よみがえります」、あるいは「私は三日の後に、復活します」と言う言葉は、耳に残らなかったに違いありません。
しかし、私たちは知っています。主イエス様は、本当によみがえられたことを。復活されたことを。この時、「死」が滅ぼされたのです。クリスチャンは、死の問題をすでに解決している人々なのです。あなたも、そして私も。死を恐れることはないのです。》