◇◆◇日々のみ言葉
2015年9月20日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書5章37節】
5:37そして、ペテロとヤコブとヤコブの兄弟ヨハネのほかは、誰も自分と一緒に行くのをお許しにならなかった。
◎ショートメッセージ
《この記事は、マタイ・マルコ・ルカの3つの共観福音書に掲載されている。しかしその内容が、若干ではあるが異なっている。
『イエスは家にはいられたが、ペテロとヨハネとヤコブ、それに子どもの父と母のほかは、だれも一緒にはいることをお許しにならなかった。(ルカの福音書8:51)』
マルコによれば、一人娘の死を伝えに使者が来てから、主イエスは、シモン・ペテロとゼベタイの子ヤコブとヨハネを連れて、ヤイロの家に一緒に行かれた、となっている。
しかし正確さが売り物の医者ルカは、ヤイロの家に到着した後、家の中にヤイロとその妻、そして側近の弟子であるシモンとヤコブとヨハネの3人の弟子たちのほかは、誰も主イエスは一緒に入るのを許されなかった、となる。
もし大勢の群衆から、主イエスとヤイロを守ろうとするのなら、いくら小さい頃からガリラヤ湖の漁で鍛えたペテロとヨハネとヤコブであったとしても、難しい状況ではなかったか。
そうならば、やはりヤイロの家までは、十二使徒が主イエスと共に行ったと、する方が自然である。そしてヤイロの家に到着した後、ひとり娘が寝かされている家の部屋の中に、ヤイロとその妻、そしてシモン・ペテロとヤコブとヨハネ、主ご自身、合計6名が、これから起きる奇跡を目の当たりに見ることなる。
ところで、ここで大きな疑問を感じるのは、私だけであろうか。
なぜ主イエスは、シモン・ペテロとゼベタイの子ヤコブとヨハネだけを連れて行かれたのか、という疑問である。
実は、これまた主の公生涯、最後に残された1年間の期間において、主イエスは、同じようにシモン・ペテロとヤコブとヨハネの3人だけを連れて、高い山(ヘルモン山)に登られたのである。
『それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。しかも、モーセとエリヤが現われてイエスと話し合っているではないか。
すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、私の愛する子、私はこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」という声がした。
弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。すると、イエスが来られて、彼らに手を触れ、「起きなさい。こわがることはない。」と言われた。それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。
彼らが山を降りるとき、イエスは彼らに、「人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見た幻をだれにも話してはならない。」と命じられた。(マタイの福音書17:1~17:9)』
この時にも、主イエスは、ペテロとヤコブとヨハネの3人だけを、ヘルモン山に連れて行くのだ。他の9人の使徒たちは、やはり面白いはずはない。彼らの中に不満を唱える者もいたのではないかと思われる。
ここでいつも思う疑問がある。それは、なぜアンデレがいないのか、と言うことである。ヨハネの福音書によれば、バプテスマのヨハネの弟子であったシモン・ペテロの弟のアンデレと、ゼベタイの子ヤコブの弟のヨハネが、主イエスの最初の弟子となったはずである。しかもその翌日に、アンデレはシモンを、おそらくヨハネはヤコブを、それぞれの兄を主イエスに紹介しているはずである。「私たちはメシヤに出会った。」と。
これも推測でしかないのだが、もしかしたら残された9人の使徒の面倒を見る、サブリーダ-であったのかも知れない。そうだとしたら、主イエスは、留守の時をアンデレに託して、3人の側近中の側近の弟子であるペテロとヤコブとヨハネを、使徒の中心的指導者として訓練するために、またその自覚を促すために、あえてヤイロの家の中に、そしてヘルモン山に連れて行ったのではなかろうか。
ともあれ、主権は主イエスにある。主イエスのお心の中にある。
『あなたがたが私を選んだのではありません。私があなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。(ヨハネの福音書15:16前半より)』
私たちは、主の御心を、はっきりと知ることがなかなか難しい。それゆえ聖書を読み、また祈りを捧げて御心を求める必要があるのである。》