◇◆◇日々のみ言葉
2024年3月28日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章44節~45節】
15:44 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに死んでしまったかどうかを問いただした。
15:45 そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『15:44 ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不審に思い、中隊長を呼んで、もう死んでしまったかのかと問いただした。
15:45 そして、中隊長にそれを確かめてから、イエスの遺体をヨセフに渡した。』
金曜日の夕方になっていました。その日は安息日の前日で、安息日の備えをする日でもあったのです。
以前から主の弟子となっていたアリマタヤのヨセフは、意を決して、ポンテオ・ピラトの所に行き、イエスの遺体の下げ渡しを願い出たのです。彼は、ユダヤ人議会の有力な議員の一人でした。
ヨセフと面談したピラトは、刑の執行を行なった百人隊長をゴルゴタから呼び戻します。百人隊長は、自分の見た有様をそのままピラトに報告したのです。
普通は、十字架刑に処せられた者は、二・三日は生きています。それゆえ、主イエスの両隣りに十字架刑に処せられた二人組の強盗は、早く楽になるように、すねを折られたのです。
マルコは、「イエスのからだ(遺体)をヨセフに与えた(渡した)」と書き記していますが、十字架から主の御からだを降ろしたのは、死刑執行人であることは間違いありません。
この場面を絵にしたのが、ピエタです。十字架から降ろされたイエスの御からだを、主の母マリアが抱き、その側にはヨハネが、またその周りには、アリマタヤのヨセフとニコデモ、そしてマグダラのマリアやサロメ等がいると言った具合です。
ここから私たちが学ぶ真理はただ一つです。それは、主イエスはこの時、本当に死なれたということです。すなわち、主イエスの心臓は鼓動を止め、すべての血は注ぎ出されたということなのです。仮死状態で、三日目に目を覚ましたというのではないのです。
しかし、リベラルな教会の多くの指導者たちは、復活などはないと信じており、仮死状態説を唱えているのです。》