◎本日の聖書箇所【ルカの福音書4章38節~40節】(新約聖書p.117上段真中)
4:38 イエスは立ち上がって会堂を出て、シモンの家に入られた。シモンの姑がひどい熱で苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスにお願いした。
4:39 イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた。彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。
4:40 日が沈むと、様々な病で弱っている者をかかえている人たちがみな、病人たちをみもとに連れて来た。イエスは一人ひとりに手を置いて癒やされた。
◎メッセージ【ペテロの姑(しゅうとめ)】
《この日は安息日でした。カペナウムの会堂を出て、主イエス様と弟子の一行は、シモン・ペテロの家に向かわれます。マルコは、平行記事において、『一行は会堂を出るとすぐに、シモンとアンデレの家に入った。ヤコブとヨハネも一緒であった。』と書き記しており、弟子たちは4人であったことが分かります。
すると、シモンの姑が熱を出して横になっていましたので、人々はさっそく、彼女のことを主イエス様に知らせたのです。この「人々」とは、ペテロの妻と子どもたち、そして近所から看病に来ていた、女性たちではないでしょうか。
さて、シモンと弟アンデレの故郷は、ピリポと同じで「ベツサイダ(漁師の町)」であることを、ヨハネは明らかにしています。ベツサイダには、シモンと弟アンデレの実家があって、もしかしましたら、彼らの両親は健在で、父親は漁師として、まだ活躍していたのかも知れません。なぜなら、当時のユダヤでは、ほとんとの職業が世襲制であったからです。
そしてペテロが結婚した時に、分家としてカペナウムに家を建てたのではないでしょうか。ただし、聖書には、ペテロとアンデレの両親については何も書かれてはいません。よって単なる私の推測にしか過ぎませんが。
しかし、このように考えますと、シモン・ペテロが妻の母親(しゅうとめ)を引き取っていた理由が分かります。ペテロの姑は、やもめであったことは、間違いないと思います。やもめは、当時のユダヤ社会において、もっとも弱い立場にあった女性でした。
またペテロの妻は、兄弟もおらず、長女であったに違いありません。もし、妹がいたとしても、他へ嫁いでいる可能性は十分に考えられます。
さて、主はシモンの姑の寝ている所に行かれます。ルカは、「イエスがその枕元に立って熱を叱りつけられると、熱がひいた」と書き記しています。しかし、マタイとマルコは、「イエスはそばに近寄り、手を取って起こされた。すると熱がひいた」となっており、まさしく主イエス様の優しさと心配りが感じられます。
これが主イエス様なのです。主はいつも最も弱い者と共にいて下さるのです。ペテロの妻の母である姑は、孫たちの面倒を見ていたに違いありませんが、やはり娘婿の世話になることには、肩身のせまい思いをしていたに違いありません。
しかし、主イエス様は、愛を持って彼女をいやされたのです。高かった熱が一瞬として引き、その瞬間に、もとのように元気になり、彼女は起き上がったのです。そればかりではありません。「彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた」のです。
主イエス様は、ペテロの姑に使命をお与えになられました。それは彼女にとって、まさしく生きがいとなったものです。すなわち、救い主、いやし主であられる神の御子、主イエス様の世話をするということです。私は、主イエス様が公生涯を終えるまで、ペテロの姑は、主が家に戻って来られるたびに、もてなしたと思っています。
主は、いつも弱い立場の者を、取るに足らない者を用いられるのです。それは、誰もが高慢になることのないようにするためであり、神様に栄光を帰するためでもあるのです。主は、いつも「へりくだった者」と共におられます。》