• 2024年6月23日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章1節~5節】(新約聖書p.120上段真中)
    6:1 ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたときのことである。弟子たちは穂を摘んで、手でもみながら食べていた。
    6:2 すると、パリサイ人のうちの何人かが言った。「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
    6:3 イエスは彼らに答えられた。「ダビデと供の者たちが空腹になったとき、ダビデが何をしたか、
    6:4 どのようにして、神の家に入り、祭司以外はだれも食べてはならない臨在のパンを取って食べ、供の者たちにも与えたか、読んだことがないのですか。」
    6:5 そして彼らに言われた。「人の子は安息日の主です。」

    ◎メッセージ【安息日論争】
    《カペナウムのユダヤ人の会堂にて、安息日の集会に出席された主イエスと弟子たちは、丁度お昼時に差し掛かり、麦畑を通っていたときのことです。弟子たちは、お腹が空いたらしく、麦の穂を摘んで、手でもみながら食べ始めたのです。それを見ていたパリサイ人が主イエスに言いました。
    「なぜあなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」
    ミシュナによりますと、弟子たちが穂を摘むことは、「収穫」に当たり、手でもむことは、「打穀」に当たると言うのです。
    その質問に対して、主はパリサイ人たちが良く知っている「ダビデの逃避行」の場面を話されました。
    これは、ヨナタンが父サウルのダビデに対する憎しみと殺意を確信した時のことで、ヨナタンは弓矢によって、そのことをダビデに伝えます。
    この後ダビデは、ギブアから故郷ベツレヘムの中間にある「祭司の町ノブ」の祭司アヒレメクの所に行きます。ダビデと部下たちは、祭司だけが食べることの出来る「聖別されたパン」を分けてもらったのです。主イエスは、律法にも緊急の場合には、例外のケースが存在することを言っています。そして主は、パリサイ人たちに言います。
    「人の子は安息日の主です。」
    この言葉こそ、主ご自身が誰であるのかを、彼らに明確に教えているのです。十戒を、そして安息日を定めたのは、ご自身であることを彼らに示されたのです。ここで主は「人の子」という言葉を用いていますが、これはダニエル書に書かれています。
    『私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲と共に来られた。その方は『年を経た方』のもとに進み、その前に導かれた。』と。
    主イエスは彼らに、「読んだことがないのですか」と聞かれましたが、「人の子」が何を指しているのか、彼らは当然知っています。なぜなら、彼らは旧約聖書に通じていたからです。 イザヤは、『「見よ、わたしはシオンに、選ばれた石、尊い要石を据える。この方に信頼する者は決して失望させられることがない。」』と書き記しています。
    すべての人にとって、主イエスはどのようなお方であるのかと言うことが問われています。すなわち、救い主なる神様か、それとも単なる人なのかと言うことです。
    安息日は、主イエスが、人の為に定められたものです。この日は、主なる神様に感謝し、賛美と礼拝を捧げ、心休める時を、主の臨在と平安の中で過ごす為にあるのです。》

Comments are closed.