◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章37節~38節】(新約聖書p.122下段右側)
6:37 「さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。人を不義に定めてはいけません。そうすれば、あなたがたも不義に定められません。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。
6:38 与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえます。あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」
◎メッセージ【さばいてはいけません】
《「さばいてはいけません。そうすれば、あなたがたもさばかれません。」
ここでは、命令形が使われており、すべてのクリスチャンに対する主の命令であることが分かります。マタイの「山上の垂訓」における同一平行記事によりますと、
『「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。」』と書かれています。すなわち、自分がさばいたさばきが自分に戻って来ることを意味しています。
ここで、主イエスは、「自分が量るその秤(はかり)」と言われています。つまり、その人自身の中に、物差しがあると言うことです。中心になっているのは、紛れもなくその人の自我であり、自分は正しい、という主張なのです。
また、人が人をさばく時、その人は、神の領域を侵していることになります。なぜなら、主はこう言われているからです。
『「また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子に委ねられました。」』
主イエス様こそ、さばき主なのです。一度目は救い主として来られましたが、二度目にはさばき主として来られることになります。
「人を不義に定めてはいけません。」現代訳では、「人を罪に定めてはいけません。」となっています。
さて、さばかない為には、あるいは、罪に定めない為には、どうしたら良いのでしょうか。その答えが、「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます。」と言うことなのです。
使徒パウロはこう勧めています。
『互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。』と。
そして、次に主イエスが言われたことは、
『「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。」』
神様の法則は、私たちが「与えることが先」だと言うことです。実は、神様の方から、すでに私たちに与えて下さったのです。それが、御子イエス・キリストなのです。すべては恵みです。私たちが持っているものすべてが、神様の御手から出ているのです。
それだからこそ、与えるべきなのです。そうすると、与えられた人は、『詰め込んだり、揺すって入れたり、盛り上げたりして、気前良く量って懐に入れてもらえ』るようになると主は言われています。
そして、『あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。」』となるのです。》