◇◆◇日々のみ言葉
2015年10月9日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書6章35節~36節】
6:35 そのうち、もう時刻もおそくなったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここはへんぴな所で、もう時刻もおそくなりました。
みんなを解散させてください。そして、近くの部落や村に行って何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください。」
◎ショートメッセージ
《『ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。(マルコの福音書6:33~6:36)』
主イエスは、いろいろと群衆に教えられた。何を教えられたのかについては、ルカが平行記事として書き記している。
『さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。ところが、多くの群衆がこれを知って、ついて来た。それで、イエスは喜んで彼らを迎え、神の国のことを話し、また、いやしの必要な人たちをおいやしになった。(ルカの福音書9:10~9:11)』
主イエスは、「神の国」について教えられた。そればかりではない。「いやしの必要な人たちをおいやしになった。」、ともルカは書いている。それでは、この時の群衆の数は、いかほどであっただろうか。
この後に起こる偉大な奇蹟「五千人の給食」とは、男性の数が五千人であって、女性や子どもたちの数は入っていない。当時のユダヤでは、女性の存在は軽く考えられており、また「子どもたちは、つまらない存在であった。」と、尾山令仁先生は言われた。
よってこの時の群衆の数は、男、女そして子どもたちを併せて、およそ二万人は、いたのではないだろうか、と考えられている。
しかも主イエスは、「いやしの必要のある人をおいやしになった。」、と言うことは、そのミニストリーをお一人でなされた、という意味にも取れる。
もし十二使徒たちにも、ご自身が分与された権威によって、いやしを行なわせたとしたら、ルカは、そのように書き記したはずである。なぜならルカは、時間や数などについては、正確に調べあげ、綿密に書き記しているからである。そのルカが、見落とすはずはない。
主イエスにおける「神の国」の教え、いやしのミニストリー、これでけでも相当な時間が費やされたはずである。それで時刻も遅くなったと言うわけだ。
この時刻は、一体何時頃であっただろうか。
ルカによれば、
『そのうち、日も暮れ始めたので、十二人はみもとに来て、「この群衆を解散させてください。そして回りの村や部落にやって、宿をとらせ、何か食べることができるようにさせてください。私たちは、こんな人里離れた所にいるのですから。」と言った。(ルカの福音書9:12)』
ということは、おそらく午後6時近くであり、ユダヤ暦では、新しい一日が始まろうとした。
しかも、人里離れた所である。へんぴな所である。弟子たちの言うことは最もであった。実際に群衆の人々は、もう空腹を覚える頃であっただろう。そして弟子たちも、空腹であったし、何はともあれ、昨日からの疲れで疲労困ぱいしていたからである。
そればかりではない。主イエスご自身も疲れていないはずはない。弟子たちは、自分たちばかりではなく、主イエスのことも心配していただろう。それゆえ、主イエスに願ったのである。「群衆を解散させてほしい。」と。
なぜなら、主イエスだけが、この群衆を解散できるお方であったからである。
しかし、父なる神のご計画は、全く思いもつかないものであったのだ。これから十二使徒たちが経験することとなる大いなる奇蹟は、実は彼らの為に、そしてすべてのクリスチャンの為に、主イエスが教えられることであり、また主イエスの約束でもあるのだ。》