• 2024年9月22日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2024年9月22日 第四主日礼拝メッセージ
    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章43節~45節】(新約聖書p.123上段右側)
    6:43 「良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。
    6:44 木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。
    6:45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。」

    ◎メッセージ【良い木と悪い木】
    《主イエスは、「良い木と悪い木」のたとえを弟子たちに話しました。実は、この例えの解釈には、二通りあります。一つは、クリスチャンを「良い木」、この世の人々を「悪い木」とたとえると言う解釈です。
    かつての私たちは、実は誰もが、「茨」であり「野バラ」でした。一見綺麗な花を咲かさているように見えますが、人を傷つけるトゲがあるのです。ところで、世の人々の中には、クリスチャンよりも良いと思われる人々は大勢います。けれども良いと思われる人々が、もし行ないによって救われるとしたら、十字架も、また身代わりの死も必要ないことになります。
    主の流された尊い血潮こそが、私たちを清め、罪を洗い流し、全き赦しを与えられ神の子どもとして下さるのです。
    そして、もう一つの解釈は、教会の中には、良い木と悪い木が存在すると言うことです。
    主イエスは、最後の晩餐において、「ぶどうの木」のたとえを話されました。それは、主がぶどうの木であり、私たちはその枝だと言うのです。枝は、根から幹を通し、養分をたくさん送られ、やがて花が咲き、実が実って行くことになります。
    主が言われた、ぶどうといちじくは、多くの人々を喜ばさせ、また慰めを与えるものです。私たちが、しっかりと主の言葉に留まり、信仰に留まっているならば、多くの実を結ぶことになります。それゆえに、「良い木」すなわち「良い枝」は、多くの実を実のらせるのです。
    そして、「悪い木」とは、偽兄弟と偽姉妹のことです。ガラテヤ教会には、深刻な問題がありました。
    『忍び込んだ偽兄弟たちは、私たちを奴隷にしようとして、キリスト・イエスにあって私たちが持っている自由を狙って、忍び込んでいたのです。』と、パウロは書き記しています。
    つまり、信者でもないのに、信者と偽って、教会に侵入して来る者たちがいるということです。
    現在、キリスト教と偽って、多くの異端が存在することは、クリスチャンならば、誰もが知っています。そして、それが伝道の大きな障害にもなっています。
    それでは、本物の信者と偽兄弟・偽姉妹とを見分けるにはどのようにしたら良いのでしょうか。実が証明するのです。
    「良い木が悪い実を結ぶことはなく、悪い木が良い実を結ぶこともありません。木はそれぞれ、その実によって分かります。茨からいちじくを採ることはなく、野ばらからぶどうを摘むこともありません。」
    実とは何でしょうか。それは、その人の言葉、その人の行ない、またはその人の醸し出す雰囲気などに現われて来ます。
    使徒パウロは、『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。』と言っています。
    クリスチャンの中には、聖霊様が住んで下さっています。その人が、御霊によって生きているのなら、自然に御霊の実が現われてくるのです。
    しかし、偽兄弟・偽姉妹は違います。彼らの中には主に反逆する霊が住んでいます。それゆえ、『「良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。人の口は、心に満ちていることを話すからです。」』と、主が言われた通りなのです。》

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