◎本日の聖書箇所【ルカの福音書7章11節~17節】(新約聖書p.124上段真中)
7:11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちと大勢の群衆も一緒に行った。
7:12 イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた。
7:13 主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。
7:14 そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
7:15 すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。
7:16 人々はみな恐れを抱き、「偉大な預言者が私たちのうちに現れた」とか、「神がご自分の民を顧みてくださった」と言って、神をあがめた。
7:17 イエスについてのこの話は、ユダヤ全土と周辺の地域一帯に広まった。
◎メッセージ【やもめの一人息子のよみがえり】
《主イエスは、カペナウムからナインの町に向かわれました。ナインとは「かわいい」という意味で、カペナウムから南西に約30キロ離れた町のことです。
そして、主イエスがナインに近づいた時のことです。町の門から、葬式の一団がやって来たのです。ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出される所でした。
彼女はやもめで、すでに夫を亡くしており、残された一人息子を頼りに生きていたのでしょう。そして、今度は何と、その息子を失ない、絶望のさなかにおいて、今まさに墓に埋葬しようとしているのです。
主イエスは、その母親を見て、深く哀れまれたとあります。激しく号泣している母親の姿を見た時、主はかつて自分の家庭で起こったことを思い出されたに違いないのです。
もしかしたら、この母親と、育ての父ヨセフを無くした母マリアの姿とが、重なったのかも知れません。主は言われます。「泣かなくてもよい」と。
そして、近寄って棺に触れられ、さらに主は言われたのです。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたとあります。イエスは彼を母親に返されたのです。この場面を見た弟子たち、またカペナウムから着いて来た群衆、そしてナインの町から、やもめに付き添っていた人々の驚きようはいかばかりであったことでしょう。
さて、四つの福音書によりますと、主イエスは公生涯において、三人の人を生き返らせています。一人目が、このナインのやもめの一人息子です。二人目が、カペナウムの会堂管理人ヤイロの一人娘です。この二つの場合には、死後一時間も経ていません。
そして、三人目が、ベタニアのマルタとマリアの弟ラザロです。この時は、死後すでに四日が経過しており、腐敗がかなり進行しているといった状態でした。そこからの生き返りとなるのです。
大切なことは、主イエスこそ「命の主」であり、やがて私たちを確実によみがえらせて下さるお方だと言うことです。使徒ヨハネは、『この方には命があった。』と証言しています。
この三人は、確かに主イエスによって生き返らせていただいたのですが、やがてもう一度死んだことは間違いありません。
また、「命の主」なる主イエスには、「命」が「いやし」があるということです。救われていて永遠の命を持っているにもかかわらず、元気のないクリスチャンや疲れ果てているクリスチャンに、もう一度、主は新たな命を吹き返させて下さいます。なぜなら、主こそが「命のパン」なのです。そして、主は、何時も私たちを招いておられます。
『「すべて疲れた人、重荷を負っている人は私のもとに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)』と。命の主の御もとに行きましょう。私たちは主と共に歩み続けるのです。主はいつも共にいて下さいます。このお方を心から信頼し、信頼し続けて行きましょう。主は必ず、最も良い時に、あなたの願いに応えて下さいます。》