• 日々のみ言葉 2015年10月19日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月19日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章51節】

    6:51 そして舟に乗り込まれると、風がやんだ。彼らの心中の驚きは非常なものであった。
    ◎ショートメッセージ

    《マタイだけは、平行記事の中に、ペテロが水の上を歩いたことを書き記している。

    『しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
     すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
     しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。
     すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
     ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
     そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
     そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。(マタイの福音書14:24~14:32)』

     ペテロは、何と勇気があるのだろうか。いや、むしろ無鉄砲と言っても良いくらいである。
     この場面において、とっさに私たちであったら、このように言えるだろうか。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」

     すると主イエスは言われるのだ。「来なさい。」

     これは命令形である。「来ても良いよ。」ではない。権威あるお言葉である。

     そこで、ペテロは水の上を歩いてイエスのほうに行った。

     この場面を見ていた他の弟子たちは、どうであったのか。なぜ、同じように、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と言わなかったのだろうか。いや、言えなかったのである。それほど、彼らは、恐れ、おびえていたからである。

     「来なさい。」

     主イエスの、この権威あるお言葉に、ペテロは、舟から降りて、おそるおそる足を水の上に、つけた。すると、何と彼の足は、確かに水の上に乗ったのである。そして歩き始めた。そう、確かに、ペテロは、水の上を歩いて、主イエスの方へ行こうとしたのだ。

     初めペテロは、主イエスをしっかりと見つめていた。主イエスだけを見ていた。

     ところがである。ところが、風を見たのである。一瞬、主イエスから目をそらしたのだ。そしてペテロの頭の中に、「俺が水の上を歩いている。歩けるわけないじゃないか。」と疑う心と、恐れが生じたのだ。すると、足が沈みはじめたのである。

     その時、ペテロは、「主よ。助けてください。」と叫んだのだ。

     すると、主は、ペテロの方へ、急ぎ、走り寄られたのである。
     そして、すぐに手を伸ばし、ペテロをつかんだ。
     この時、一体ペテロは、どこまで沈んだのであろうか。体半分であろうか。もしかしたら、顔だけがかろうじて水の上にあった状態であっただろうか。まさに、ペテロが、水の中に沈んでしまうその直前に、主イエスがペテロを引き上げられたのではないだろうか。

     主イエスは言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

     この言葉は、今現在に生きている私たちにも語られている言葉である。ペテロは、「主よ。あなたでしたら~。」と言った。主は、「来なさい。」と命じられた。

     私たちは、主イエスが語られた「神の言葉」を本当に信じ、信頼しているであろうか。

     主イエスが、ペテロを引き上げられてから、おそらく主イエスはペテロを、抱きかかえるようにして、そして二人で水の上を歩いて舟に乗り込んだ。この時は、ペテロは主イエスと共に水の上を確かに、そして再び歩いたのだ。

     その時、風が止んだのだ。弟子たちの驚きは、非常なものであった。

     このことから、弟子たちも、まだ主イエスが、どなたであるのか、悟ってはいなかったことが、一目瞭然である。》

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