◇◆◇日々のみ言葉
2025年1月26日(日)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙15章8節~9節】
15:8 そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われて下さいました。
15:9 私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『15:8 最後には、未熟児のような私にも現われて下さった。
15:9 私は使徒の中では最もつまらぬ者であって、使徒と呼ばれる値打ちさえも無い者である。というのは、私は以前、神の教会を迫害したことがあった。』
これは、有名な「ダマスコ途上」の場面を指しています。
『さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、大祭司の所に行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼んだ。それは、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、
「サウロ、サウロ。なぜ私を迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、
「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。
「私は、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」(使徒の働き 9:1 ~9:6)』
十二使徒は、主イエスによって、直接選ばれました。おそらく、主は彼らに按手をされ、使徒に任命したのではないでしょうか。
しかし、サウロは違います。この時には、すでに主は昇天されています。しかし、そうであっても、主がサウロを「異邦人の使徒」として選ばれた事は、全く疑いのない事実なのです。
私たちも同じです。私たちも救われ、主の弟子として選ばれたのです。なぜ、主がお選びになられたのかは分かりませんが、恵みの何ものでもありません。
もし、主に出会わなかったらと考えますと、本当に恐ろしくなるのは、果たして私だけなのでしょうか。》