◇◆◇日々のみ言葉
2025年4月12日(土)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙3章14節~16節】
3:14 しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
3:15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『3:14 しかし、覆いが掛けられたのはモーセの顔だけではない。イスラエルの民の心にも覆いが掛けられた。というのは、彼らは聖書の本当の意味を理解できなくなってしまったからである。その覆いは、キリストによって初めて取り除かれるのである。
3:15 確かに今日までずっと人々の心には覆いが掛けられていて、モーセの律法が朗読されても、よく理解できないでいる。
3:16 それでも、悔い改めて、主に心が向けられるなら、その覆いは心から取り除かれる。』
ここでパウロは、「イスラエルの人々の思いは鈍くなった」と言っています。これはどのような意味なのでしょうか。
つまり旧約聖書は、メシアについて書かれた書物であるということです。神様は、救い主をユダヤ人に与えられると言う預言と約束こそが、古い契約でした。
その預言の成就として、主イエス様がこの世に来て下さったのです。しかし、彼らは主イエス様をメシアとしては、受け入れなかったのです。それは、覆いが掛けられていたからです。
ここで、私たちが誤解していることがあります。それは、主イエス様がこの世界に来られた時は、どこに属していたかということです。
すなわち、乙女マリアから生まれ、三年半の公生涯を終え、十字架につけられる時までのことです。実は、その期間は、まだ旧約の時代なのです。
それでは、新しい契約は何時から始まったのでしょうか。十字架なのです。神の小羊として、十字架上において、血を流された時から、新しい契約の時代に入ったと言えるのです。そして、その約束として、聖霊が降臨して下さったのです。明日も同じ箇所からとなります。》