• 日々のみ言葉 2025年4月13日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年4月13日(日)

    ◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙3章14節~16節】
    3:14 しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
    3:15 かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
    3:16 しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
    『3:14 しかし、覆いが掛けられたのはモーセの顔だけではない。イスラエルの民の心にも覆いが掛けられた。というのは、彼らは聖書の本当の意味を理解できなくなってしまったからである。その覆いは、キリストによって初めて取り除かれるのである。
    3:15 確かに今日までずっと人々の心には覆いが掛けられていて、モーセの律法が朗読されても、よく理解できないでいる。
    3:16 それでも、悔い改めて、主に心が向けられるなら、その覆いは心から取り除かれる。』

    パウロは、「イスラエルの人々の思いは鈍くなった」と言っています。これはある意味においては、イザヤの預言の成就なのです。

    『「行って、この民に言え。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな。』この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。」(イザヤ6:9~6:10抜粋)』と、神様はイザヤに語られたのです。

    しかし、主イエスがメシアとして、「しるしとしての奇跡」を行なわれました。まさしく、主イエスを信じる者には、覆いが取り除かれるのです。
    すなわち、旧約聖書に預言されているメシアこそ、「ナザレのイエス」であることを、知ることによって、聖書の本当の意味を理解することになるのです。

    モーセの律法は、死に至らせます。つまり、「人は罪人であって、死ななければならない」ことを教えるのが律法だからです。
    「自分が正しい、自分こそ義である」として、行ないによって義人だと思っている律法学者たちには、覆いが掛けられているのです。
    しかし、彼らが悔い改めて、主イエスに心が向けられたなら、救われ、聖書を理解することになります。
    その実例こそが、サウロの改心なのです。主に心が向く、すなわち主に出会うことこそが、救いです。幸いにも、私たちは主に出会うことが出来ました。いいえ、主が私たちに出会って下さったのです。サウロのように。》

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