• 日々のみ言葉 2025年5月22日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2025年5月22日(木)

    ◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙6章8節後半~10節】
    6:8 私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
    6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、
    6:10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
    『6:8 私たちは人をだます者だと言って非難されてきたが、その実、真実を語る者であり、
    6:9 無名の者だと言って中傷されてきたが、その実、人々からはよく知られ、毎日が死の危険の中にあったのに、いつも救い出されて来たし、神に懲らしめられているようであっても、私たちを死に渡されることはなかった。
    6:10 私たち福音を宣べ伝える者たちには、次から次へと悲しむべきことが起こって来るが、心の深みにおいては、いつも生きる喜びにあふれており、財産らしいものは何一つ無かったが、多くの人々に測りがたいキリストの豊かな祝福を与えて富ませ、ほかの人たちのように持っているものは何も無くても、このささげきった生活には、神の恵みが、有形無形のあらゆるものと共に豊かに注がれたのである。』

    「福音」とは何でしたか。非常に単純なことです。誰であっても、主イエス・キリストを救い主として信じ、受け入れるならば、今まで犯して来た罪が赦され、新しいいのちが与えられ、神の子どもとされることです。
    ただし、誤解しないでほしいのですが、神様側にとって、その人の罪は赦していただけるのですが、その罪の結果の刈り取りは、しなければならないのです。
    例えば、物を盗んだとしましょう。その物を返すのは当たり前ですし、弁償することも当然なことです。
    もし、刑事事件を起こしたのなら、当然、法的裁きも受けなければなりません。償いをすることから逃れることは出来ません。罪は結果を伴うのです。

    パウロは、「人をだます者のように見えても」と言っていますが、福音は無償によって与えられたものです。
    主イエス様が、十字架上においてすべてのことを成し遂げて下さいました。私たちの身代わりとなって死なれ、私たちが生きる為に、三日目によみがって下さったのです。
    私たちは、ただ、このお方を信じるだけです。これが真実です。これが真理です。》

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