◇◆◇日々のみ言葉
2015年12月20日(日)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章15節~16節】
9:15 そしてすぐ、群衆はみな、イエスを見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをした。
9:16 イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。」と聞かれた。
◎ショートメッセージ
『主イエスとペテロとヤコブとヨハネが、その一行の帰りを待っていた弟子たちの所に戻って来た。見ると、大ぜいの人の群れが、弟子たちの回りを囲んでおり、また律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
大勢の人々は、すぐに主イエスが戻って来たことが分かり、主イエスの所に走り寄った。そしてあいさつをしたのである。つまり主イエスを歓迎したと思われる。
そこで主イエスは、群衆に「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。」と聞かれたのである。
実は不思議なことに、この後、弟子たちと議論していた律法学者たちは、この場面からは姿を消す。とは言っても、そこから去ったわけではなく、主イエスが戻って来られてからは、彼らの関心はもはや弟子たちではなく、主イエスの言動と行動に向いたと思われる。
よって、弟子たちとの議論をやめ、主イエスに集中したと考えられるのである。
前日には、弟子たちと律法学者たちが議論をしたことについて考察した。マルコは、彼らが一体何を論じ合っていたのか、詳しくは述べていない。
今日は、その内容について考えて見たいと思う。
主イエスと、側近の三人の弟子たちが、ヘルモン山に登っている時、しかもそこで主イエスの栄光が、現わされていた時、実は麓において、大きな事件が起こっていたのである。もちろんその首謀者はサタンである。
主イエスがいないことを見計ってサタンは、強力な悪霊を遣わして来た。すなわち、ある人の息子に取り憑いた聾唖の霊である。残された九人の弟子は、この聾唖の霊を追い出そうと試みたが、彼らには追い出すことが出来なかったのだ。
そればかりではない。
悪魔は律法学者たちをも用いて、何とかして弟子たちの信仰を打ち砕こうとしたのだ。
主イエスのいない間に。
主イエスがおられない時、その時こそ悪魔や悪霊どもの暗躍の時が訪れる。
幸い、今の私たちには、私たちの霊の中に聖霊様が住んでいて下さっている。それは私たちの霊の中に、主イエス様の霊がおられる、ということである。そしてまさしく「インマヌエル」なる主が、共にいて下さるのだ。
さて律法学者たちは、なぜ弟子たちが悪霊を追い出せないか、ということについて論議していたのであろうか。
私はそうは思わない。
大勢の人々なら、あるいは聾唖の霊に取り憑かれた息子を連れて来た父親ならば、それは分かる。
弟子たちが追い出せなかったことについて、不平不満をぶつけることは当然だとも言える。
しかし、相手は律法学者たちである。律法の専門家でもあり、ユダヤ人の会堂シナゴークにおいて、毎安息日ごとに持たれる集会において、聖書を解き明かすラビなのだ。
そうだとしたら、彼らの関心事はただ一つ。
主イエスが「何者であるのか。何の権威でこんなことをするのか。」にある。
ところで、救われた私たちに取って、主イエスは何者であろうか。
このお方こそ「救い主」、王の王、主の主なるお方である。私の罪の身代わりとして十字架に架かられ死んでくださったお方である。そして三日目によみがえられたのだ。復活されたのだ。このお方を信ずる者には、「永遠のいのち」が与えられるのである。
そのお方のことを、私たちは『主』と呼んでいる。『主』とは主人のことである。
あなたの主人は誰か。あなた自身か。それとも主イエスであろうか。》