◇◆◇日々のみ言葉
2015年12月23日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書9章20節】
9:20 そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。
◎ショートメッセージ
『主イエスは答えて言われた。「その子をわたしのところに連れて来なさい。」
そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。もちろん父親が連れ添ひ、主イエスの御前に連れて来たはずである。
ピリポ・カイザリヤの村に、父と悪霊に取り憑かれた息子が辿り着いた時には、主イエスはおられなかった。側近の弟子たちを伴って、ヘルモン山に出かけていたからである。
おそらく近くの村もしくは町に住む親子であろう。この問題は親子の問題に留まらず、その村や町の人々の問題でもあったかも知れない。この子が発作を起こす時、人々は何とか静めようとして悪戦苦闘したと思われるのだ。
主イエスを見ると、その子はひきつけを起こし、地面に倒れ、あわを吹き、地面にころげ回った。悪霊が、主イエスの前に最後の抵抗を示したのである。
悪霊どもは、主イエスを知っていた。悪霊どもは、かつて神に仕える天使であった。御使いであった。彼らは、天にいた。その時、父なる神も、そして子なる神イエスも、聖霊なる神も、天におられたのだ。
しかし、天使長ルシファーが堕落して、神に対して反抗の旗を揚げた時に、彼らはルシファー側に付くことを選び、共に天から突き落とされたのである。
この子には、かなり地位の高い悪霊が取り憑いていた。御使い一人一人に名前があるように、この悪霊にも名前があることは明白である。主イエスの御前に、その子が連れて来られた時に、この悪霊は、もはや追い出されることは、十分承知していた。
そして激しい抵抗を試みるのである。
悪魔、悪霊は実存する。
それは、おとぎ話や寓話の世界の話ではない。
ましてや、映画やアニメなどの作り話でもない。
本当に、今なお存在し、人々を亡ぼそうとして暗躍しているのである。
使徒パウロはこう述べている。
『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人への手紙6:12)』
悪魔はただ一人である。悪霊の数は、反逆した時から今までに増えもしなければ減ってもいない。有史以前と同じ数である。
しかし、天使の三分の一だけが悪魔に従ったのであり、三分の二の天使が「御使い」として残されている。
そして日々、主イエスに従う人々のために仕えてくれているのだ。
ヘブル人への手紙の著者はこう述べている。
『御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。(ヘブル人への手紙1:14)』
そして決して忘れてはならないことは、私たちは、十字架の上において勝利を得られた方を信じ、お仕えしているのである。
このお方こそ王の王、主の主イエス・キリスト。間もなくこのお方の誕生日がやって来る。》