• 日々のみ言葉 2016年5月15日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年5月15日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書14章19節】
    14:19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。

    ◎ショートメッセージ
    《夕方になって、イエス様は十二弟子と一緒に「過越の食事」をするために、ペテロとヨハネの案内のもとに、エルサレム市内のある家に来られました。伝承ではヨハネ・マルコの家であったと伝えられています。
     まず、最初の料理が終わり、イエス様は弟子たちの足を洗いました。そして、みなが席に戻り、次の料理を食べている時に、イエス様は言われたのです。

    「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、私と一緒に食事をしている者が、私を裏切ります。」

     まさに晴天の霹靂です。この突然のイエス様の言葉に、周囲は騒然となりました。彼らは互いに顔を見合わせながら、悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」と、かわるがわるイエス様に、問いだす始末です。

    「まさか私ではないでしょう。」

     この言葉を「かわるがわる言いだした」とは、ユダもそう言ったことになります。

     そのことについて、マタイが福音書に書き記しています。

    『みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
    すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
    すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。(マタイの福音書26:21~26:22・26:25)』

    現代訳聖書では、
    『「先生。まさか私ではないでしょうね。」イエスは彼に答えて言われた。「今、自分で言っているでしょう。」』となっています。

    「いや。そうだ。」
     新改訳聖書ですと、イエス様は、ユダを裁き、罪を指摘するように聞こえてしまいます。イエス様は、この時でさえ、ユダに愛を持って接し、「悔い改め」の機会を、お与えになられたのです。「今、自分で言っているでしょう。」と。

     だからこそユダは、イエス様の十字架の前に、戻るべきでした。そして、ひざまずいて、主の御前にて赦しを乞うべきだったのです。しかし、結末は誰もが知る通りです。イエス様が十字架に架けられる前に、ユダは首を吊って死んでしまうのです。

     主の十字架は、すべての人のためです。結論を言います。ユダだけが「裏切り者」ではありません。ペテロだって同じです。ヨハネを除く他の九人の弟子たちも同じです。なぜなら、皆イエス様を置いて、一目散に逃げ出してしまうのですから。》

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