• 日々のみ言葉 2016年5月19日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年5月19日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書14章23節~24節】
    14:23 また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
    14:24 イエスは彼らに言われた。「これは私の契約の血です。多くの人のために流されるものです。」

    ◎ショートメッセージ
    《本日も、主イエス様が新しく制定された「聖餐式」について学びたいと思います。 みなが過越の食事をしているとき、イエス様はパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われたのです。「取りなさい。これは私のからだです。」

     そして次に、行なわれたこと、言われたことが、今日の聖書箇所になります。

     まず最初にイエス様は「杯」を手に取られました。これは一つの杯のことです。そして感謝の祈りを捧げられたのです。

     次に、弟子たちに回して飲むように勧められました。このスタイルは、今もルーテル教会などでは続けられています。実はかつてカトリック教会も、このスタイルを踏襲していました。
     しかしある時のことです。伝染病が流行って、この聖餐式の「杯」の儀式によって、病気が移ってしまったのです。それから、ぶどう酒の回し飲みが中止となり、代表として司祭だけが飲むようになりました。今でも、ミサの時に、司祭が、本物の赤いぶどう酒を飲みます。このことが結構問題とされており、司祭の中には、アルコール依存症となってしまった者が、少なからずいるそうです。

     ここでイエス様は、「これは私の契約の血」であると言われました。アブラハムを代表とする族長時代には、人と人とが契約を結ぶ時には、動物の犠牲とその血が必要でした。

     神様とイスラエルとが、かつてシナイ山において結んだ、古い契約には、やはり犠牲の血が必要とされて来ました。その血は、傷のない一才の雄の小羊で、その契約は、毎年更新されなければなりませんでした。つまり毎年小羊が屠られたのです。

    「見よ。神の小羊。」
     洗礼者ヨハネは、主イエス様を見て、このように宣言したのです。イエス様は、傷のない小羊以上の者として、血を流され犠牲となられたのです。罪のないお方が流された血潮こそが、神様とすべての人との契約の証印となったのです。

    「これは私の契約の血です。多くの人のために流されるものです。」

    「多くの人」とは、この瞬間にイエス様と同じ時代に生きていた人々、そしてこれから生まれて来ようとする人々、まさに、すべての人々の為と言う意味なのです。

    「聖餐式」とは、主イエス様の身代わりの十字架の死を、その流された血潮を、永遠に覚え、記念し、記憶するための新しい礼典です。

     そのパンを食するたびに、十字架上において、引き裂かれた主のお体を思い起こし、ぶどう酒を飲むごとに、最後の一滴に至るまで、この地上に、ご自分の聖なる血潮を降り注がれたイエス様を思い起こし、感謝と賛美を捧げるものなのです。

     私たちは、「古い契約」の世界に生きているのではありません。「新しい契約」すなわち新約時代に生かされています。その最大の特典は、主がともにおられることなのです。》

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