• 日々のみ言葉 2016年10月30日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年10月30日(日)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書3章10節】
    3:10 群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」

    ◎ショートメッセージ
    《『それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
     それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
     斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」(ルカの福音書3:7~3:9)』

     ここでバプテスマのヨハネは、ユダヤ人たちに「まむしのすえたち」と言う呼びかけをしています。これはどのような意味なのでしょうか。

    「まむし」は、体長60センチくらいの頭が三角形をした毒蛇のことで、ここで使われているギリシャ語は「エキドゥナ」であり、一般的に普通の毒蛇を指し、本来の意味は、「邪悪」を表わす言葉なのです。

     私たちが「蛇」と言う言葉を連想します時に、真っ先に思い起こすのは、エデンの園にいた蛇ではないでしょうか。

     創世記によりますと、
    『さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。(創世記3:1)』と、書かれています。この場合の「蛇」はサタン、あるいは悪魔の象徴であることは言うまでもありません。間違いなく「毒蛇」であり、もしかしたらまむしであったかも知れないのです。

    「まむしのすえたち」この言葉は、サタンに属する者、その特徴である「邪悪さ」を引き継ぐ者たちに向けられた言葉と言えそうです。

     何とイエス様も同じ言葉を、パリサイ人や律法学者たちに使っておられます。
    『「まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイの福音書12:34)』

     もしかしたら、バプテスマのヨハネが使っていた言葉を知っておられて、イエス様も同じように、用いられたかも知れません。

     さて、群衆はヨハネのこの言葉を聞いて、このように尋ねたのです。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」

     これは、悔い改めの第一歩にあたります。つまりヨハネの語った強い言葉が、彼らの心を突き通し、彼らは自分自身に目を向けたのです。

     多くの人は、自分自身よりも他人の足らない所、つまり欠点や短所に目を留め、いつも自分よりも他人のせいにして生きています。自分は悪くなく、他人が悪いのです。
     しかし悔い改めると言うことは、自分自身を客観的に見詰めることであり、自分の非をや罪を認めることなのです。
     それがなければ、いつも自分が正しく、まさにパリサイ人や律法学者たちになってしまいます。彼らは、自分たちだけが一番正しいと自負していたからです。

    「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」
     この言葉は、今も私たち一人一人に当てはまるのです。私たちは、神様に、聖霊様にこう聞くべきです。
    「それでは、私はどうすればよいのでしょう。」
     神様は、必ず答えて下さいます。あとは神様の指示に、従順に従うことは言うまでもありません。》

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