◇◆◇日々のみ言葉
2016年11月11日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書4章1節~2節】
4:1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
4:2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
◎ショートメッセージ
《ルカの福音書には、イエス様が、ヨハネからバプテスマを受けられた時に、聖霊様が鳩のように降った、と書かれています。
『さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、私の愛する子、私はあなたを喜ぶ。(ルカの福音書3:21~3:22)』
と言うことから、それまでの三十年間は、聖霊様はイエス様と共におられなかった、と言うことが分かります。
そして、ヨハネからバプテスマを受けられた時に、聖霊様が降られ、それから初めて、聖霊様に満たされたと言うことが、分かるのです。
これはどのような意味なのでしょうか。
イエス様が公生涯を始められる前は、私たちと同じように、ひとりの人間として、ひとりの大工として、両親に仕え、家族を支えておられたのです。つまりごく平凡な、当たり前の人生を送っておられたわけです。
私たちは、イエス様がひとりの人として生きられ、またメシヤとしての準備期間であった三十年間に、具体的にどのようなことがあったのか、知ることが出来ません。
それを知っているのは、主イエス様の家族だけなのですから。母マリヤ、そしてこの時にはすでに召されていたヨセフ、四人の弟たち、二人以上の妹たちだけが知っているのです。
おそらく、全く目立たないごく普通のありふれた兄であったからこそ、弟や妹たちは、イエス様を神の御子と信じることが出来なかったのではないか、と考えられるのです。
さて、ヨルダンから帰られたイエス様は、聖霊様に導かれ、荒野に遣わされました。この時から、十字架に掛けられ、身代わりの死を遂げるまで、聖霊様は何時もイエス様と共におられたのです。
荒野において、イエス様は四十日四十夜、断食して祈られました。その時に、悪魔の試みに会ったと、聖書は述べています。
「試み」または「誘惑」、実はどちらも同じ言葉が用いられています。しかし実際には意味が全く違います。「試み」は、試練であり、神様からやって来ます。そして「誘惑」は、悪魔からやって来るのです。
それゆえ、この箇所においては、新改訳聖書が「試み」と訳することは間違いであり、本来の意味、「誘惑」と訳するべきなのです。
「主の祈り」もそうですね。
『私たちを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。』
この場合にも「試み」ではなく、「誘惑」の方が、正しいと思います。
さて、イエス様が、四十日四十夜断食した後に、悪魔の誘惑がやって来たのではなく、最初の日から悪魔は誘惑の限りを尽くして来たのです。
そしてイエス様が空腹を覚えられた時に、最大の三つの誘惑がやって来た、と考えることの方が正しいと言えます。》