◇◆◇日々のみ言葉
2016年11月19日(土)
◎聖書箇所 【ルカの福音書4章17節~19節】
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18「私の上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、私に油を注がれたのだから。主は私を遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
◎ショートメッセージ
《イエス様は、六人の弟子たちを連れて、ご自分の育ったナザレに行かれました。そして、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれたのです。
まず、ここで私たちが確認することがあります。それは、ユダヤ人の安息日ですが、今現在もそうなのですが、今日の金曜日の夕方から土曜日の夕方前までと考えられていて、金曜日の夜か、翌日の朝に安息日の礼拝をしていたことです。
よって、金曜日の夜もしくは次の日の朝、主イエス様が聖書朗読の為に、ラビが立つ指定の場所に立った時に、イザヤ書の巻物が渡されたことになります。
ユダヤ人の会堂には、会堂管理人がいて、大切な巻物の聖書を保管すると共に、また会堂に入ることが許されない者を選別し、追い出す権威が与えられていました。それゆえ会堂管理人は、信頼と人望のある人物に委ねられていたのです。
その、会堂管理人の人物が、イエス様が会堂に入って来た時に、何のためらいもなくラビの席に立つことを容認し、そしていつものようにイエス様に巻物の聖書を渡したと言うことは、以前からイエス様が、ナザレの会堂のラビとして、ご奉仕されていたことを意味していますし、会堂管理人とは親しい間柄であったことが分かります。
聖書朗読の箇所は、「モーセ五書」か「預言書」と決められていました。そして朗読した者が、その箇所から勧めをすることが普通でした。
この時、イザヤ書が渡されたことは、神様の摂理であると言えます。主イエス様は、渡された巻物のイザヤ書から、ある箇所に目を向け、朗読なされました。
これはイザヤ書61章1節から3節にあたります。
原文では、
『神である主の霊が、私の上にある。主は私に油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、私を遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。(イザヤ書61:1~61:3)』となっています。
多少文章が異なっているのは、ルカがギリシャ人であり、ギリシャ語でイザヤ書のみ言葉を書いたからとも考えられます。
主イエス様が読まれたのは、ヘブル語です。そしてこの箇所こそ、まさにメシヤ預言であったのです。》