◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月1日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書4章36節~37節】
4:36 人々はみな驚いて、互いに話し合った。「今のお言葉はどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」
4:37 こうしてイエスのうわさは、回りの地方の至る所に広まった。
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、故郷ナザレに行きましたが、同郷のユダヤ人の人々はイエス様に躓き拒絶したのです。
そしてイエス様は、弟子たちの故郷であるガリラヤの町カペナウムに下りました。そして、安息日ごとに、ユダヤ人の会堂シナゴークにおいて人々を教えたのです。
そんなある安息日のことです。カペナウムの会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいて、大声でわめき散らしたのです。
「ああ、ナザレ人のイエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
悪霊どもは、主イエス様が、「神の聖者」つまり、神の御子であることを知っていました。
イエス様は、その霊を叱りつけ、「黙れ。その人から出て行け。」と言われたのです。するとその悪霊は、その人を投げ倒して出て行きました。やがて正気に戻ったその人は別に何の害も受けなかったのです。その人は解放されたのです。
聖書は「悪霊」の存在をはっきりと書き記しています。しかし多くの福音的教会においては、まるで悪霊などはいないかのように教えられているのです。
悪魔であるサタン、すなわち堕落した御使いの頭ルシファーは実在します。そしてサタンに従って堕落した天の三分の一のかつての御使いたち、すなわち悪霊どもとなった邪悪な者たちは実在するのです。
私が洗礼を受けた教会の教団は、全く「悪霊」には目を向けておらず、「悪」という概念と考えていました。
もしその時、悪霊どもの確かな存在とその攻撃に対する対処法を教えられていたとしたら、そう思うたびに無力だった自分が歯がゆくてなりません。三十数年前になりますが、本当に悪霊どもの執拗な攻撃を受けたのです。
しかし主イエス様に従う者には、主の御名を使う権威が、すでに与えられているのです。私たちは命じることが出来るのです。
「主イエス様の御名によって命ずる。黙れ。静まれ。出て行け。立ち去れ。」
もちろん私たちは、いつも主イエス様に目を向けるべきです。しかし多くの問題の影には、悪霊どもの存在とその原因があるのです。
主イエス様は権威を持って言われました。「黙れ。その人から出て行け。」
すると、カペナウムの会堂にいた人々はみな驚いて、互いに話し合ったのです。
「今のお言葉はどうだ。権威と力とでお命じになったので、汚れた霊でも出て行ったのだ。」
「権威」と「力」
これこそが、私たちクリスチャンに与えられているものなのです。私たちの霊の中には、天地創造の神様であられる聖霊様が住んで下さっています。そして主イエス様から、私たちは御名を使う権利が与えられているのです。私たちは無力ではないのです。》