• 日々のみ言葉 2016年12月26日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年12月26日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書5章27節~28節】
    5:27この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われた。
    5:28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、取税人レビの召しの場面からの学びです。
     イエス様は出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われました。

     当時のローマ帝国の徴税の仕方は、たいへん考えられていたものでした。おもに占領した国の民族の中から取税人を任命し、同胞からの徴税にあたらせていたのです。こうすれば、自分たちの手を汚すこともなく、確実に税を徴収することが出来たからです。

     そのリベートさえも、取税人に委ねられていたのです。もちろん常識的の範囲内において、リベートが定められていましたが、二倍あるいは四倍以上の税を徴収していたことが現状でした。それゆえ、彼らは同胞から憎まれ嫌われ、犬や盗人と同じように軽蔑されていたのです。また彼らは裏切り者として、ユダヤ社会からは追放された者たちでした。

     ところで、「マタイ」は本名ではありません。この名は「神の賜物」と言う意味で、おそらく本人自身が名前を変えたかと思われます。サウロがパウロとなったように。

     それではなぜ名前を「レビ」から「マタイ」に変えなければならなかったのでしょうか。
     レビとは、祭司職においては、名門中の名門の家系を表わす名前です。なぜレビが取税人になったのかは、マタイはその福音書には書き記してはいません。弟のヤコブも同じ職業であったことは明白です。
     推測にしか過ぎませんが、この兄弟がこの道を選んだと言うことは、同胞ユダヤ人からひどい扱いを受けたとか、あるいは騙されたとか、何か悲劇があったことは、考えられることです。
     それゆえ、彼らは同胞ユダヤ人たちに復讐しようとして、ローマ帝国の手先となり、取税人となって、徹底的に徴税の鬼と化したのかも知れません。

     イエス様がご覧になると、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われました。

     同胞のユダヤ人が、レビを見る目は、いつも軽蔑と憎しみでいっぱいであったことは間違いありません。
     そこへイエス様が来られ、目を留められたのです。この「留められた」と言う言葉は、「ちらっと見る」と言う言葉ではなく、「じっーと見つめる」という言葉の原語が使われています。
     イエス様の目は、レビが今まで見たことのない眼差しであったのです。その目には、愛と哀れみと慈しみが満ち溢れていたのです。その眼差しを見たレビは、「私について来なさい。」と言うイエス様の言葉を聞いて、何もかも捨て、立ち上がってイエス様に従ったのです。
     シモン・ペテロと弟アンデレや、ゼベタイの子ヤコブとヨハネは、一度は漁師を捨てましたが、レビは違うのです。取税人がその職場を離れることは、二度と戻れないことを意味しています。本当にレビは、そして弟ヤコブは、すべてを捨てて従ったのです。》

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