◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月27日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章27節~29節】
5:27この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「私について来なさい。」と言われた。
5:28 するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
5:29 そこでレビは、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。
◎ショートメッセージ
《引き続きレビの召命の場面について考えて行きたいと思います。イエス様の言葉を聞き、レビは、本当に何もかも捨てて、取税所の監督官のイスから立ち上がったのです。これは、文字通り、過去の自分との決別の瞬間を表わしています。
イエス様に見詰められるまでは、レビは、カペナウムの取税所の責任者であったかも知れません。彼は同胞のユダヤ人から巻き上げた富で、大金持ちであったはずです。
アルパヨの子レビ、そしてその弟であるアルパヨの子ヤコブ、彼らは一生遊んで暮らしていける富がその手にありました。
しかしその富は、彼らが全うに働いて得たものではなく、本来、徴収するべき税の何倍も徴収して、同胞ユダヤ人から巻き上げ、盗み取った金で築き上げた財産なのです。 ローマ帝国は、その辺の所は目をつぶって、見て見ぬふりをしていました。その方が都合が良く、また確実に税を徴収することが出来たからです。
さて取税人が、その場所を放棄することは、その職業を放棄することであり、二度とその仕事に戻ることは出来ません。
漁師ならば、舟と網さえあれば、また戻ることが出来ました。実際に、ペテロとその弟アンデレ、ゼベタイの子ヤコブとヨハネたちは、復活されたイエス様に「ガリラヤに行くように。」と言われ、その時ガリラヤ湖において、また漁師に戻っています。
そのことについては、ヨハネが福音書の最後の章に書き記しています。
さてレビと弟ヤコブは、自分たちの家にイエス様と弟子たちを招待して、大ぶるまいをしました。これこそ、彼らが生まれ変わったことを表わしています。
マルコの福音書の平行記事では、
『イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「私について来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。
それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちと一緒に食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従っていたのである。(マルコの福音書2:14~2:15)』と書かれています。
レビの家に、他の取税人や罪人たちも大ぜい、イエス様や弟子たちと一緒に食卓に着いていたのです。イエス様は、レビの家に入られたのです。暗かったレビと弟ヤコブの心に光が差し込んだのです。イエス様こそ、まことの光であられます。
『見よ。私は、戸の外に立ってたたく。誰でも、私の声を聞いて戸をあけるなら、私は、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼も私とともに食事をする。(黙示録3:20)』
レビとヤコブは、その戸を開きました。その結果はどうなりましたか。彼らは、主イエス様の十二使徒として、全世界に、いや天国においてさえも、誰もが知る栄光の道を歩んで行くことになるのです。》