• 日々のみ言葉 2017年3月17日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年3月17日(金)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書7章40節~43節】
    7:40するとイエスは、彼に向かって、「シモン。あなたに言いたいことがあります。」と言われた。シモンは、「先生。お話しください。」と言った。
    7:41「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。
    7:42彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
    7:43 シモンが、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」と答えると、イエスは、「あなたの判断は当たっています。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日に引き続き同じ箇所の学びとなります。

     このたとえは、イエス様がシモンの思いを察してなされたものですが、実はそれだけではありませんでした。
     ナインの町のパリサイ人シモンは、イエス様と弟子たちを食卓に招きました。その町で罪深いひとりの女が突然、シモンの家に入って来たのです。尾山令仁先生は、売春婦の可能性が高いと言われています。

     彼女は香油のはいった石膏のつぼを持って来て、泣きながら、イエス様のうしろに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗ったのです。
     それを見ていたパリサイ人シモンは、「この方がもし預言者なら、自分にさわっている女がだれで、どんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから。」と心ひそかに思い、イエス様を心の中で中傷したのでした。

     その時、その状況を見ていた弟子たちも、心の中では同じような気持ちを抱いたのです。無理もないことです。一見して売春婦のような様相の女性が、泣きながらイエス様の御足に口づけし、香料を塗り、髪の毛でぬぐったのですから。

     弟子たちも、彼女に対しては、良い思いを持っていなかったことは当然です。これはシモンや弟子たちだけでなく、今の私たちにも言えることです。そのような罪を重ねて来た女性に対して、良い思いを持たないことは極めて一般的であり、また常識の範囲内のことだからです。

     前にも書きましたが、この女性はイエス様を個人的に知っていることは明白なのです。イエス様が、パリサイ人シモンの家に食事に招かれたことを知っていましたし、また誰がイエス様であるのか、良く分かっていたからこそ、そのうしろから御足に香油を塗り、口づけし、髪の毛でぬぐえたのです。

     そしてこの女性が救われていたことは真実です。この女性は、イエス様を救い主と受け入れ、悔い改め、全く生まれ変わっていたのです。しかし外見は、それまでと一緒でしたので、シモンも、また弟子たちも、そのことが分からなかったのです。

     彼女は自分が犯して来た罪の重さを知っていました。それだからこそ、多くの罪を赦された者として、主イエス様を愛し、持っている最高の物で感謝の気持ちを表わしたのです。
     まさにシモンが答えたように、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」の通りなのです。

     自分がどれほど罪人であるのか、それに気づかなければ、イエス様の十字架の素晴らしさと恵みは分かりません。
     もし、自分は正しいと思う人には、イエス様の十字架の重みは分からないのです。

     罪の代価は命です。血です。それだからこそ、何も罪を犯さなかったイエス様が、身代わりとして死んで下さったのです。》

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