◇◆◇日々のみ言葉
2017年4月21日(金)
◎聖書箇所 【ルカの福音書8章29節】
8:29 それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
◎ショートメッセージ
《悪霊に憑かれた男は、イエス様を見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言ったのです。
「いと高き神の子、イエス様。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
ルカは、悪霊に憑かれた男が、イエス様の御前に来る前に、イエス様が「この人から出て行け。」と命じられたと書いています。
ここで、多少の時間の食い違い(タイムラグ)があるような気がしますが、おそらく主イエス様は、ゲサラの地に舟が着いた時、霊の目を持って、すぐさまご自分がここに遣わされた理由を知り、その地を悩ませていた悪霊どもに向かって、「出て行け」と命じられたのではないでしょうか。
そうしますと、イエス様と墓場にいる悪霊に取り憑かれた男とは、かなりの距離が存在することになります。
ここで大切な真理があるのです。霊的世界においては、この世的な距離は全く関係ないと言うことです。また声の大きさも関係がないのです。要するに、権威があるかないかの問題なのです。権威が与えられているかどうかの問題なのです。
イエス様には、その権威が有りました。なぜなら神様のひとり子であり、創造主なるお方であられたからです。
イエス様は、その権威を弟子たちに与えられたことを、私たちは知っています。
『イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。(マタイの福音書10:1)』
『汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。(本日の聖書箇所から)』
なぜこの男の人は、悪霊に取り憑かれたのでしょうか。しかも「何回となくこの人を捕らえた」と、書かれています。と言うことは、正気の時もあったことを意味します。
主イエス様を救い主として受け入れ、聖霊様によって生まれ変わっていなければ、その人は、悪魔の支配下にあるのです。しかし、これほどまでに、悪霊に取り憑かれると言うことは、それなりの理由がなければあり得ないことなのです。
聖書はその辺りを明確にしてはいませんが、尾山令仁先生はこのように解釈しています。
『悪霊には大好物の餌があるのです。まず第一には、「異教の神棚」「仏壇」「お守り」などです。「占い」や「まじない」などもそれにあたります。
次に、不品行、うそ偽り、盗み、誰かに対する恨みや憎しみ、悪意、冷たい心、誰かを赦していない心、高ぶりなどです。すべて悪魔の餌になるのです。こういうものをいい加減にしておいたら、悪霊はすぐに入り込んでしまいます。』
それだからこそ、私たちは心を見張らなければならないのです。悪魔・悪霊は、私たちに悪い思いを与えようとします。その誘惑の声に聞き従ってはなりません。唯一の武器は、「み言葉」です。聖書に書かれたみ言葉なのです。》