◇◆◇日々のみ言葉
2017年5月14日(日)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章9節】
9:9ヘロデは言った。「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったい誰なのだろう。」ヘロデはイエスに会ってみようとした。
◎ショートメッセージ
《イエス様のうわさは、ついにガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスの耳にまで達しました。またこの王は、イエス様がなされたすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していたのです。
なぜなら、それは、ある人々が、「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。」と言い、他の人々は、「エリヤが現われたのだ。」と言い、さらに別の人々は、「昔の預言者のひとりがよみがえったのだ。」と言っていたからです。
ヘロデは、宮廷にいる執事や高官たちにこう言ったのです。
「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったい誰なのだろう。」
ヘロデは、自分がバプテスマのヨハネを処刑したことを、しっかりと覚えていました。実の姪にあたるサロメの妖麗な踊りを見て、何でも欲しい物を与えると安易な約束をしてしまったがために、兄弟ピリポ・ヘロデから略奪した妻ヘロデヤの罠にまんまとはまり、挙げ句の果てにヨハネの首をはねて、盆に乗せたのです。
これは、本当に重い罪を犯したことになります。
さて、ここで、一つの質問をさせていただきます。
イエス様は、ヘロデ・アンティパス、そして妻ヘロデヤ、またその娘であるサロメの罪の為に、十字架に架かられたのでしょうか、それとも否でしょうか。
その答えは、イエスです。
イエス様は、大祭司カヤパの罪の為に、そしてポンテオ・ピラトの罪の為にも十字架に架かられたのです。これは驚くべき真実であり真理です。
よって、イエス様の十字架の後に、生きていた者たちは、救われるチャンスが与えられていたのです。もし国王ヘロデが罪を告白し、そして悔い改め、イエス様を自分の主として、心から信じ、口で告白したのなら、彼は救われ、そして永遠の命をいただけたのです。
しかし結果は、そうはなりませんでした。彼らには選ぶ権利がありました。そして彼らが選んだのは、多くのパリサイ人や律法学者たちが選んだ道でした。それは「狭い門」ではなく「広い門」であったのです。
所でこの時、「ヘロデはイエスに会ってみようとした」と書かれていますが、父なる神様はその機会をもヘロデに与えられることになります。
しかもイエス様がゴルゴタの丘において十字架につけられる数時間前に。
ルカは、こう書き記しています。
『それを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ねて、ヘロデの支配下にあるとわかると、イエスをヘロデの所に送った。ヘロデもその頃エルサレムにいたからである。
ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行なう何かの奇蹟を見たいと考えていたからである。それで、いろいろと質問したが、イエスは彼に何もお答えにならなかった。(ルカの福音書23:6~23:9)』
この時こそが、ヘロデに取って最後の機会であったことは間違いないことです。》