◇◆◇日々のみ言葉
2017年5月15日(月)
◎聖書箇所 【ルカの福音書9章10節】
9:10さて、使徒たちは帰って来て、自分たちのして来たことを報告した。それからイエスは彼らを連れてベツサイダという町へひそかに退かれた。
◎ショートメッセージ
《『イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。
それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。イエスは、こう言われた。
「旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。どんな家にはいっても、そこにとどまり、そこから次の旅に出かけなさい。人々があなたがたを受け入れないばあいは、その町を出て行くときに、彼らに対する証言として、足のちりを払い落としなさい。」
十二人は出かけて行って、村から村へと回りながら、至る所で福音を宣べ伝え、病気を直した。(マルコの福音書9:1~9:6)』
そして十二弟子は、喜びいさんでイエス様のもとに戻って来ました。イエス様は、十二弟子を二人ずつ六チームに分けて、六つの方向の町や村に遣わされましたが、集合する日と時刻を決めておられたことは、間違いのないことです。
おそらくイエス様は、十二弟子を遣わされた時と同じ場所に留まっておられたに相違ありません。一番考えられるのは、カペナウムのシモン・ペテロの家だと思われます。 そしてイエス様の命じられたこの伝道実習の旅は、数日のような短いものではなく、少なくとも一ヵ月くらいは、弟子たちにとって必要ではなかったかと私は思います。
ところで、その間イエス様は何をなされておられたのでしょうか。一つは、「休息」が考えられます。イエス様は、まことの神様であられましたが、私たちと同じように肉体を持っておられました。
当然、体は疲れを覚えるのです。それゆえ休憩や睡眠が必要なのです。
そしてもう一つは、「静まる」ことです。それは単に静かにしていると言うものではなく、父なる神様との交わりの時であり、祈りの時なのです。イエス様が必要とされたならば、この静思の時は、私たちにも必要なのです。
この後、唯一四つの福音書のすべてに書き記されている事が起こります。それが「五千人の給食」の奇蹟です。
この奇蹟をイエス様が行なわれる為にも、しばらくは、静まっておられる時が必要であったのかも知れません。
もちろん十二弟子の働きの成功の為に、取り成しの祈りはなされたに違いありません。それだからこそ、彼らは、喜び溢れて主イエス様の元に戻って来ることが出来たのです。
弟子たちの報告を笑顔で聞かれ、うなずかれる主イエス様の顔が思い浮かべられます。
その後、イエス様と弟子たちは、ベツサイダに退くことになります。もしかしたらヘロデ王の追跡があったかも知れません。なぜならガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスは、イエス様に会って見たいと思っていたからです。》