• 日々のみ言葉 2017年6月2日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年6月2日(金)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書9章26節】
    9:26「もし誰でも、私と私の言葉とを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。」

    ◎ショートメッセージ
    《尾山令仁先生の現代訳は、はるかに分かりやすくなっています。

     現代訳では、
    『誰でも、私と私の言葉を恥じる者に対しては、私もまた、私の父の栄光のうちに、御使いたちと一緒に来る再臨の時に、裁かずにはおきません。(ルカの福音書9:26)』となっています。

     また尾山先生は、これは「救いに関する」ことであると言っています。

     箴言には、このように書かれています。
    『知恵は、ちまたで大声で叫び、広場でその声をあげ、騒がしい町かどで叫び、町の門の入口で語りかけて言う。
    「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
     私の叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたに私の霊を注ぎ、あなたがたに私の言葉を知らせよう。
     私が呼んだのに、あなたがたは拒んだ。私は手を伸べたが、顧みる者はない。
    あなたがたは私のすべての忠告を無視し、私の叱責を受け入れなかった。それで、私も、あなたがたが災難に会うときに笑い、あなたがたを恐怖が襲うとき、あざけろう。
     恐怖が嵐のようにあなたがたを襲うとき、災難がつむじ風のようにあなたがたを襲うとき、苦難と苦悩があなたがたの上に下るとき、そのとき、彼らは私を呼ぶが、私は答えない。私を捜し求めるが、彼らは私を見つけることができない。
     なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、私の忠告を好まず、私の叱責を、ことごとく侮ったからである。(箴言1:20 ~1:30) 』 
     
     ここで「知恵」と書かれているのは、主イエス様を指し示します。今日の聖書箇所の「私」も、そして引用しました箴言1章の「私」も、イエス様を指すのです。

     主イエス様は、ユダヤ人に対して、何度もご自身が誰であるのかを教えられました。しかし当時のエルサレムのユダヤ人の指導者たちは、イエス様の語られたお言葉を信じ、受け入れようとはしませんでした。
     箴言に書かれたように、当時のエルサレムのユダヤ人への裁きは、紀元70年、ローマ皇帝ティトスによって、エルサレム陥落の時に成就しました。

     しかしイエス様の言われたこのお言葉は、今も生きているのです。今現在でさえも、有効であり、またこれから成就することになる預言なのです。

     残念ながら日本の多くの人々は、イエス様のお言葉が書かれた聖書に見向きもしません。たとえ知識では知っていたとしても、救い主であられるイエス様の御元に来ようとはしないのです。

     しかし近い将来、必ず主イエス様は来られます。まず始めに花嫁である「教会」が取り去られます。それから約七年間の大艱難時代が始まり、箴言に書かれた預言が成就することになるのです。そして人類の滅亡する寸前に、主は再臨なされます。

     一人でも多くの日本人が救われるように、今こそ私たちは立ち上がるべきです。》

Comments are closed.