◇◆◇日々のみ言葉
2018年9月3日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き1章24節~26節】
1:24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
1:25 この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
1:26 そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。
◎ショートメッセージ
《「ですから、主イエスが私たちと一緒に生活された間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動を共にした者の中から、だれかひとりが、私たちと共にイエスの復活の証人とならなければなりません。」
そこで、十一使徒たちと百名以上の兄弟たちは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
「バルサバ」とは、「平安の子」と言う意味のヘブル語名です。そして別名ユストとはラテン語名であり、本名がヨセフであって、何と彼は三つの名前で呼ばれていたのです。
またマッテヤとは、マチアスあるいはマティアとも呼ばれ、彼の詳細については何も分かりません。聖書は沈黙していますから。
さてペテロは、主イエス様に祈ります。
「すべての人の心を知っておられる主よ。この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。」
そしてくじをひくと、くじはマッテヤを示しました。
この時、バルサバはどんな気持ちであったことでしょうか。バルサバは、またもや外されたのです。二度、落胆を味わったのです。
実はある有力な説があるのです。
それは、このバルサバこそが、慰めの子と言う意味の名前のバルナバではなかったのではないか、と言う説です。
人を慰めることが出来るのは、悲しみや苦しみ、そして辛さを、身をもって知っている人でなければ出来ないことなのです。
裕福の家に生まれ、何不自由なく暮らしてきた人には、貧しい人の気持ちが分からないように、挫折を知っている人でなければ、弱って傷ついている人を助け起こすことが出来ないのは当前です。
弱さを知っている人は、弱っている人に対して親身になれますし、肉親を失った人だけが、肉親を亡くした人の気持ちが分かると言うものなのです。
もし「バルサバ」が「バルナバ」であったとしたら。
それだからこそ、かつての仲間のユダヤ人から、そして使徒たちを含む信徒からも、除け者にされたサウロ(後の使徒パウロ)の面倒を見ることが出来たのではないでしょうか。》