◇◆◇日々のみ言葉
2020年1月6日(月)
◎聖書箇所【使徒の働き19章21節~22節】
19:21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
19:22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
◎ショートメッセージ
《引き続き、一昨日と昨日と同じ箇所からとなります。
エペソでのパウロの働きが一段落した時に、御霊すなわち聖霊は、パウロに新たな任務を与えました。
まず一つは、マケドニヤ州の首都であるコリントに行くこと。
そして次に、アカヤ州の首都テサロニケに行くこと。
それから、エルサレムに上らなければならない、と言うことです。
そしてもう一つは、ローマに行くと言うことです。パウロは生まれながらのローマ市民でした。しかし彼の生まれ故郷はタルソなのです。
なぜパウロの両親が、ローマ市民権を持っていたのか、あるいは特別に与えられのか、彼の職業が「天幕作り」であることから、当時のユダヤ社会では、職業は世襲制でありましたから、彼の両親も「天幕作り」であったことは間違いないことです。
伝承では、パウロの両親がローマ軍の要請によって、かなりの枚数(量)となる「天幕」を作り、その品質の良さに、当時のローマ皇帝が感激し、両親にその褒美としてローマ市民権を与えたと言うことを、聞いたことがあります。もちろんその真偽は分かりかねます。
ローマ人への手紙には、
『兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。(ローマ人への手紙1:13)』
と書かれています。
よって、パウロはローマには行ったことがないことは明白です。
まずパウロは、愛する弟子テモテと、そしてその時、たまたまエペソを訪れていた、マケドニヤ州の首都コリント市の高官であった「エラスト」を先に送ります。
この時、第Ⅰコリントの手紙もしくは、その前に書かれた手紙(「悲しみの手紙」と言われています。しかし現存はしてはいません)と、第Ⅰテサロニケの手紙を持たせたことは、ほぼ間違いないことだと思われます。
まず、手紙で自分の意思を伝え、それでも埒(らち)が明かない場合には、問題解決の為に、パウロ自身が行くことを伝えたのだと思われます。
またコリント市の高官エネストであれば、たとえ若いテモテでは相手にされなくても、敬ってくれ、聴く耳を持つに違いないと言う配慮でもあったのです。
その後、ほぼ半年ほど、まだパウロはエペソに留まり続けます。
しかし、事件が起きます。その事件をきっかけとして、パウロは御霊によって与えられた預言の歯車が回り出すことを知ります。明日は先に行きます。》