• 2020年3月22日礼拝メッセージの概要

    ◇◆◇2020年3月22日 第四主日礼拝
    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き1章6節~7節】 (新約p.232上段右側)
    1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興して下さるのは、この時なのですか。」
    1:7 イエスは彼らに言われた。「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」

    ◎メッセージの概要【イスラエルの再興】
    《よみがえられてから40日目の昼間のことです。主イエス様は十一弟子たちと食事を共にし、エルサレム市内から弟子たちを連れてオリーブ山に行かれたことが分かります。
    「主よ。イスラエルのために国を再興して下さるのは、この時なのですか。」と弟子たちが聞きましたが、彼らが言う「この時」とは、イエス様が、「間もなく、聖霊によるバプテスマを授けられる」と言われたその時と言う意味です。
     この時点においても、弟子たちは、イエス様がローマ帝国の手からイスラエルを再興させて下さる政治的メシヤであると考えていたのです。なぜならイザヤ書には、メシヤによって、ダビデの王国が再興されると書かれているからです。
    『エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、思慮と力の霊、主を恐れる、知識の霊である。
     その日になると、エッサイの根はもろもろの民の旗として立ち、国々は彼を求め、彼のとどまるところは栄光に輝く。』と。
     エッサイとは、ダビデの父の名前です。つまりダビデの子孫から生まれたメシヤが王国を再建することが預言されています。
     おそらく使徒たちは、主イエス様が、イザヤ書に書かれた通り、ベツレヘムで生まれ、また義理の父ヨセフも母マリヤもダビデの子孫であることを、すでに知っていたと思うのです。 それゆえ弟子たちは、質問したのです。
    「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」と主は答えられます。
     ここでは、何時については、主は触れてはいませんが、再興されることを改めて約束されているのです。
     公生涯の初期のころ、主は弟子たちに「再臨」の教えをされたことがありました。
     マタイによりますと、イエス様がオリーブ山で座っておられる時、弟子たちがひそかにみもとに来て尋ねたのです。
    「お話し下さい。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」と。
     この後、主は「世の終わり」の時に起こることを話されます。
    『「人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。
     そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。
     まことに、あなたがたに言います。これらのことがすべて起こるまでは、この時代が過ぎ去ることは決してありません。天地は消え去ります。しかし、私の言葉は決して消え去ることがありません。ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」』と。
     この時にも「ただ父だけが~」と言われています。よって今日の聖書箇所の「それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。」とは、同じ答えなのです。
     つまり、主がイスラエルを再興されるのは、再臨後であると言うことです。今現在、私たちはイスラエルと言う国が存在していることを知っています。1948年、第二次世界大戦後に、ユダヤ人が集まって来て、イスラエルを建国させました。しかしこれは、イエス様による再興ではなく、終わりの時代の始まりのしるしとしての建国です。なぜならイスラエルの国がなければ、またエルサレムの最後に生き残っているユダヤ人全員が「主よ。来たりませ。」と叫ばなければ、主の再臨が訪れないからです。
     この次に成就する預言は「教会の携挙」です。しかし、まだ時間は残されています。日本にリバイバルが来なければなりません。なぜならイザヤ書に預言された「遠い島々」への預言は、まだ成就していないからです。
     その為にも、私たちは、何時いかなる場合であっても、主を信じ信頼して行かなければなりません。パウロが勧めているとおり、失望してはなりません。あわててては行けないのです。なぜなら、このお方が、すべてのことをその手に握っておられるからです。》

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