◇◆◇日々のみ言葉
2020年9月11日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章20節】
5:20「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。」
◎ショートメッセージ
《ここから、主イエスの「山上の垂訓」の教えは、いよいよ核心部分に入って行きます。また聞く弟子たちに取っては、あまりにも厳しい教えでもあり、受け入れがたいものとなって行くのです。
当時のエルサレムにおいて、最も尊敬されていたのは、律法学者たちでした。その中でもパリサイ人と呼ばれていたパリサイ派に属する律法学者たちは、自他共に認められるほどの大きな存在でした。
使徒パウロは、主イエスに出会う前の自分について、こう述べています。
『「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。」(使徒の働き22:3)』と。
パウロ、救われる前はサウロでしたが、彼は当時のエルサレムにおいて、最も尊敬されたラバン(ラビの中のラビ)であるガマリエルの一番弟子であったのです。
さらに獄中書簡では、こう書き記しています。
『私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。
私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。
しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。(ピリピ人への手紙3:4~3:8抜粋)』と。
これは、私個人の推測にしか過ぎませんが、主イエスが公生涯当時、エルサレムにおいて、また最高議会サンヘドリンにおいて、最も信頼され、期待されていたのは、ガマリエルの弟子、若き青年議員であったサウロではなかったのではないでしょうか。
だからこそ、ステパノの石打の刑の時、議員たちは、証人としてのサウロの元に、上着を置いたのです。
だからこそ、大祭司カヤパは、ダマスコへの遠征を許可したのではないでしょうか。
そして、それゆえに、サウロが主イエスに出会いパウロとなった時、同胞ユダヤ人たちから、徹底的に忌み嫌われ、裏切り者として命を狙われることになったのではないでしょうか。》