• 2020年9月13日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き4章32節~37節】
    4:32 さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。
    4:33 使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。
    4:34 彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、
    4:35 使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。
    4:36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、
    4:37 所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。

    ◎メッセージ【共同体?】
    《ルカは、ここに初期エルサレム教会の姿を書き記しています。それによりますと、「信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。」となっています。
     さて、五旬節の日のことです。聖霊が降られ、ペテロは素晴らしいメッセージを語ります。その日、三千人ほどが新しい仲間に加えられます。
     そして次に、「美しの門」に置かれていた物乞いのいやしの後に、同じくペテロのメッセージを耳にしたユダヤ人の兄弟が二千人救われ、合計五千人まで一気にふくれ上がります。 彼らは土地や家を売って、その代金を使徒の足下に置きました。なぜなら主イエスが命じられた通り、そこには「愛」があったからです。
    『「私はあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」』
     これこそが「愛の共同体」なのでしょうか。実は、ここにも神様の不思議と摂理が働いていました。救われた五千人の兄弟たちは、非常に裕福な人たちであったのです。よって彼らが売った土地と家は、エルサレムおよびエルサレム郊外にある物件です。彼らは、自分たちが本当に住んでいる家と土地を売ったのではないのです。やがてサウロによって、エルサレム教会に対する迫害が起こります。その時、彼らはもはやエルサレムに住む家も場所もありませんから、やむなく故郷に戻ることになるのです。
     逃げ戻った彼らは、自分たちが住む国において熱心に伝道し、教会は一気に、ローマ帝国中に広まって行くことになります。使徒たちだけがエルサレムに残ります。そしてその後のエルサレム教会は、貧しくなるばかりになります。だから異邦人の教会が献金を持って応援に来るのです。
     さて、使徒の働きの4章には、異邦人伝道の為に、パウロと共に無くてはならない人物が初めて登場します。それがバルナバです。
    『キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、所有していた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。』と。 バルナバも、エルサレム郊外に畑を所有していたのです。彼は、サウロの迫害によって、一時田舎に退くことになります。まさか、その迫害者と共に伝道チームを組もうとは、夢にも思わなかったに違いありません。
     ところで、時制を少し戻しますが、イスカリオテのユダの代わりに使徒を補充する必要がありました。なぜなら2人ずつのチームであったからです。
     この時、二人の人物が登場します。それは、バルサバと呼ばれ、別名をユストというヨセフと、マッティアの二人です。くじはマッティアに当たります。
     しかし今日の聖書箇所を見ますと、バルナバも本名はヨセフなのです。「バルサバ」と「バルナバ」は、実はヘブル語で一字違いなのです。ここから、通称バルサバであるヨセフが、ニックネームで、バルナバと呼ばれたのではないかと言う推測が成り立ちます。 
     もしそうであるならば、この時、バルナバは、二度にもおよんで使徒の選びから外されることになります。何と二回も挫折を味わうことになるのです。だからこそ「人の痛み」が分かるのです。だからこそ、サウロの面倒を見ることになるのです。
     苦しみや悲しみを多く知った者こそが、慰める事の出来る器になると信じます。つらい経験や、苦しい経験は、その人を謙遜にするだけでなく、同じ境遇に置かれている人々を慰めることができ、励ますことが出来るのです。もしバルナバが存在しなかったのなら、使徒パウロは果たして誕生したでしょうか。新約聖書の半分を書くことが出来たのでしょうか。バルナバに与えられた使命は、本当に大いなるものであったと思うのです。》

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