◇◆◇日々のみ言葉
2020年9月14日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章23節~24節】
5:23「だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
5:24 供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。」
◎ショートメッセージ
《尾山令仁師は、かつて高田馬場において開拓伝道をしていた初期の頃、すなわち1960年代において、この箇所のみ言葉から、「アジア謝罪運動」を始められました。
かつての日本軍がアジアに対して行なった様々な悪しき行ないに対して、謝罪に行かれたのです。最初に訪れたのはフィリピンであり、それから韓国、北朝鮮、また他のアジアの国々にも行かれたそうです。
その行ないを主が喜ばれ、教会が祝福され、高田の馬場に素晴らしい会堂が、日本の有名な建築家によって設計され竣工したのです。
残念ながら、東京都の都市整備計画の中に引っかかってしまい、別の場所に移動せざるを得なくなり、わずか20数年で、その会堂は取り壊されてしまいます。
筆者である私と家内は、たった一度でしたが、1990年に主日礼拝に参加させていただきました。それは現代的な素晴らしい会堂で、マイクが必要ないほどに、音響効果が良かったことを覚えています。
尾山令仁師は、2019年も三回韓国に謝罪に行っています。残念ながら今年は、新型コロナウィルスの関係で、いっさい取りやめとなってしまいました。
さて、この箇所から私たちは何を学ぶべきなのでしょうか。
非常に難しい教えであり、また心の深い所を探られる教えでもあります。
「もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら」
「そこ」とは具体的にどの場所を指すのでしょうか。それは教会です。礼拝堂です。教会において、礼拝を捧げようとした時に、思い出す、いや御霊によって思い起こされた時に、まずその相手の所に謝罪に行きなさい、と主イエスは言われるのです。
主イエスに出会う前は、私たちは、この世を支配する空中の権威を持つ霊に従って生きていました。救われる以前に、誰かに対して犯した罪をもし具体的に示されたのなら、謝罪に行きなさい、と主は言われるのです。
難しいことです。なかなか出来ないことです。しかし、尾山令仁師は、み言葉に従いそれを実行したからこそ、大いに祝福されたことを、確信をもって証しています。
謝罪することの難しさをいつも感じます。
日本の政治家たちは、何とかして、知らぬ存ぜずで、ごまかすことばかりに真剣で、謝罪して悔い改めようとはしません。ここにも、聖書を土台とした国でないことをつくづく思い知らされます。
主イエスが、この国を本当に哀れんで下さることこそ、数少ない日本のクリスチャン全員の祈りと願いではないでしょうか。》